
兵庫県丹波篠山市の山あいに、小さな鈴が一つひとつ生まれている古民家がある。 そこは、銀の鈴を専門に制作する作家 イソガワクミコさんのものづくりの空間。カムワッカの「吉祥すず」を手がけてくださっている彼女の工房は、丹波の深い季節の中にひっそりと佇んでいる。
アクセサリーから始まった彼女の制作は、いつしか“鈴”というモチーフへと自然に導かれていった。
「理由があったというより……鈴を振ると音が鳴って、手のひらにその重みが残る。その感覚がなんだか嬉しくて。気づいたら、鈴ばかり作っていたという感じかな」
そう穏やかに語る。
「鈴の音が好きだったのかもしれない。昔、よく鈴を拾ってたことがあって。キーホルダーについてる小さな鈴とか。交差点に落ちてるのを見つけたりしてね」
飾りではなく、お守りでもなく、“音のかたち”としての鈴。彼女の作る鈴には、そんな音との縁(えにし)が込められている。
かくいうインタビューアーのカムワッカ宇井新も、彼女の鈴とのご縁に導かれた一人。二十歳の頃に受け取った鈴をずっと持ち歩き続けていた。
この連載では、古くからの友人同士の会話を通して、イソガワクミコさんの語りを元に、「鈴をつくること」「音と暮らすこと」について、少しずつ紐解いていきます。
第1回 「始まりの鈴」— 好きなミュージシャンのお店から
なんとなく鈴のアクセサリーを納品
「昔ね、好きなミュージシャンがオーナーさんだったお店があって。ちょうど活躍されてた時期で、そこまでお店が売れないと困る感じでもなかったのかな。だから、あんまり気負わずにやっててね」
そのお店に、イソガワクミコさんはあるとき、アクセサリーを納品することに。
「猫みたいな、猫じゃないんだけど、猫のような動物がついてるアクセサリーを作ったの。鈴をつけてね。オーナーさんらしいなって思って」
初めて委託販売をしてもらうことになったお店に納品した鈴のアクセサリー。それが、彼女の“鈴作家”としての始まりだったのかもしれない。だが、本人の記憶ははっきりしていない。

「パワーストーン屋さんにも卸してたんだよね。でも、どちらが先だったか後だったか、もう覚えてないの。そういうこともだんだん曖昧になってくるよね」
そして、こんな話も。
「私、ある時期、常に10個くらいカバンに鈴入れて持ち歩いてたの。それで、気になる人に配ってたことがあって。何か悪いことが続いてる人とか、顔色が良くないなって感じる人とか。なんでかは自分でもよくわからないんだけど、“渡したくなる”感じがして」
思いつきのように語られるエピソードからも、彼女の鈴との関係は、“意図”よりも“気配”や“気分”に導かれていることが伝わってくる。

鈴は音と記憶のしるし
「アクセサリーって、いろんな人が上手に作るし、流行もあるじゃない?だから、私が作らなくてもいいかもしれない” って思ってた時期があって。でも、鈴だけは、やっぱり好きだったんだよね」
素材も大切にしている。
「ほとんど銀で。金も時折作ってるけれど、やっぱり銀が好き。東急ハンズの1階のレジ横に置いてもらってたこともあるんだけど、子どもができたりで、ずっと細々と。でも、また最近、少しずつ工房の時間が増えてる」
「作りたくない感じ」では作らない
「好きなミュージシャンのお店は、たしか1年か2年くらいだったと思う。彼女の出産でお店が閉まることになったんだよね。でも、そこで作った鈴のアクセサリーが、今も記憶に残ってる。なんとなく彼女らしいなと思いながら、でもちゃんと“好き”で作ってた」
イソガワクミコさんの“鈴づくり”は、いつも「作りたくない感じで作りたくない」という思いとともにある。何かの流行でも、義務でもなく、自分の感覚に沿って、自然に作りたくなる鈴を、静かにかたちにしていく。
つづく第2回では:
「配られる鈴」— お守りとしての役割
カバンに10個の鈴。出先で“気になる人”に配った鈴。音に込められた祈りと、偶然に再会した記憶を辿ります。

魔除けの力があるとされ、古くから場を清め人々を守るためにも使われてきた鈴の音色。しあわせと、いのちのよろこびを願う吉祥(きっしょう)モチーフの銀の鈴を、鈴作家のイソガワクミコさんに作っていただきました。題して「吉祥すず」。地金から成形まで、ひとつひとつ丁寧に仕上げられています。
うまれたての赤ちゃんには、紐を通しお母さんの首から下げてオルゴールボールのように。自分で鞄を背負えるようになったら鞄につけて。大きくなったら鍵や首元に。子ども時代からおとなまで、そして何世代までも末永く使える銀の鈴。気持ちを込めた贈り物として、自分自身へのプレゼントとして、世界に一つの音色をお届けします。