
兵庫県丹波篠山市の山あいに、小さな鈴が一つひとつ生まれている古民家がある。 そこは、銀の鈴を専門に制作する作家 イソガワクミコさんのものづくりの空間。カムワッカの「吉祥すず」を手がけてくださっている彼女の工房は、丹波の深い季節の中にひっそりと佇んでいる。
この連載では、古くからの友人でもあるカムワッカ宇井新との会話を通して、イソガワクミコさんの語りを元に、「鈴をつくること」「音と暮らすこと」について、少しずつ紐解いていきます。
第2回「配られる鈴」— お守りとしての役割
「私、ある時期、常に10個くらいカバンに鈴入れて持ち歩いてたの。それで、気になる人に配ってたことがあって」
イソガワクミコさんのつくる鈴は、商品としてではなく、誰かの内側の気配に呼応する“贈りもの”だった。
カバンの中にいつも10個の鈴
「なんかね、“この人”って感じる人に、ぱって渡してたの。魔除けのつもりだったのかもしれない。理由は自分でも、はっきり覚えてないんだけど」
イソガワさんの言葉は、どこか照れくさげだが、鈴にこめられた思いがそこににじんでいる。
それは「販売」ではなく「贈りもの」としての鈴。誰かの不安や曇った気配に、そっと手渡す小さな音。それが、かつて彼女が歩いていた街の風景の中に、しずかに響いていた。

音がつなぐ、20年越しの記憶
「その時に配った鈴のひとつが、20年ぶりに再会するきっかけになったんだよね。相手の方も、“ずっと持ってたんだ”って。私の方はもう、すっかり渡したことを忘れてたくらいなのに」
贈った本人よりも、もらった相手の方が、その鈴の存在を強く覚えている。そうした再会が、いくつもあったという。
「あの時代の空気感もあったと思う。みんな少ししんどそうで……だから自然と渡したくなったのかもしれない」
笑いながら振り返るイソガワさんの語りには、あの頃のざらっとした空気と、それを和らげようとした“音の気配”が詰まっている。
誰にでも渡すわけではなかった
「友だちの家に来てた親子とか、子どもとか、まったく初めての人にあげたこともあった。『お守りになるから』という感じで。でも基本的には、ご縁のある方に直感的に」
その言葉には、作り手としての信頼や“役割”を意識するというより、「そうした方がいい気がする」という直感があった。
「今思えば、渡した相手が本当にしんどい状況だったかどうかはわからないんだけどね。多分、自分がそう思ったんだよね。鈴が鳴ったら、ちょっとでも楽になるかなって」

自分が鈴になる、ということ
「鈴って、“持ってるだけで音がするもの”でしょ。だから、“気づき”みたいなものだと思ってて。手の中にあるだけで鳴る。意識しなくても、そこにある。そういうところが好き」
そしてこんな言葉も残していた。
「私は”作って終わり”なの。手にした人がどう使うか、どう感じるかは、その人の人生」
だからこそ、あの頃、彼女は“売る”のではなく“渡して”いたのだろう。音に意味を込めるのではなく、意味を委ねるようにして。
つづく第3回では:
「銀と音の探究」— 音、素材、かたち
鈴の音はどう決まるのか? 中の玉のサイズ、切れ込みの深さ、銀の厚み。それぞれの「音」がもつ個性と、素材との対話について語られます。

魔除けの力があるとされ、古くから場を清め人々を守るためにも使われてきた鈴の音色。しあわせと、いのちのよろこびを願う吉祥(きっしょう)モチーフの銀の鈴を、鈴作家のイソガワクミコさんに作っていただきました。題して「吉祥すず」。地金から成形まで、ひとつひとつ丁寧に仕上げられています。
うまれたての赤ちゃんには、紐を通しお母さんの首から下げてオルゴールボールのように。自分で鞄を背負えるようになったら鞄につけて。大きくなったら鍵や首元に。子ども時代からおとなまで、そして何世代までも末永く使える銀の鈴。気持ちを込めた贈り物として、自分自身へのプレゼントとして、世界に一つの音色をお届けします。