
兵庫県丹波篠山市の山あいに、小さな鈴が一つひとつ生まれている古民家がある。 そこは、銀の鈴を専門に制作する作家 イソガワクミコさんのものづくりの空間。カムワッカの「吉祥すず」を手がけてくださっている彼女の工房は、丹波の深い季節の中にひっそりと佇んでいる。
この連載では、古くからの友人でもあるカムワッカ宇井新との会話を通して、イソガワクミコさんの語りを元に、「鈴をつくること」「音と暮らすこと」について、少しずつ紐解いていきます。
第5回「これからの鈴」— 鈴らしくあるために
「注目されるのが、ちょっと苦手みたい。作ることは好きなんだけどね」
イソガワクミコさんは、30年近く銀の鈴を作り続けている。だが、その作品の背景には、表に出たがらない、むしろ“少し隠れていたい”という静かな意志がある。
個展は、ちょっと苦手
「注目される感じ、個展には、そういう空気があるじゃない? 会場で話しかけられたり、親しげにされすぎたり……けれど、そっとしておいてほしい時もあるの」
これは人見知りとか、売り方の問題ではない。イソガワさんにとって、“作る”という行為は、誰かに見せるためというよりも、内側から湧いてくるものを形にする営みだ。
「作って、終わり。私にとっては、それで完結してる」
だから、誰かがそれを手にして、身につけ、鳴らす音は、もう“その人のもの”なのだ。

おばあちゃんになっても、きっと作っている
「“鈴ばあさん”になれたら面白いよね。1年に数個しか作らなくなっても、それでもいいかなって」
一人で作ることの限界や、過去にアルバイトさんに任せて失敗した話もある。大量生産は向いていない。スピード感に追われると、気持ちが削れていく。
それでも、「手が動く限りは、きっと作り続けると思う」と言う。
「鈴作りって、そんなに力いらないのよ。だから、おばあちゃんでも作り続けられる」
鈴らしく、生きる
「鈴って、音がしても主張しないでしょ。鳴ってるのに、静かっていうか、空気に溶けていく感じ」
その響きのように、彼女自身もまた、決して前に出すぎず、けれど確かにそこに“在る”。
「いい人でいなきゃって、思ってるところがあるの。なんかね、気持ちが入っちゃうから、鈴にも。怒ってるときとか、雑に作れないんだよね」
だから、彼女の作る鈴には、優しさや静けさが宿る。それは「鈴になる」ようにして作られたものだから。

おわりに — これからの音を響かせて
イソガワクミコさんの鈴は、今日も丹波篠山の小さな工房で、静かにひとつずつ生まれている。それらは誰かの手に渡り、鍵につけられ、カバンに結ばれ、あるいはお守りとしてポケットに忍ばせられている。
そして、ある日ふとした瞬間に、小さく鳴る。
「その音が鳴ったら、ちょっとだけ気がラクになったらいいなって思ってる」
響きは遠くまで届く。鈴のように。これからも、彼女の音は続いていくだろう。

魔除けの力があるとされ、古くから場を清め人々を守るためにも使われてきた鈴の音色。しあわせと、いのちのよろこびを願う吉祥(きっしょう)モチーフの銀の鈴を、鈴作家のイソガワクミコさんに作っていただきました。題して「吉祥すず」。地金から成形まで、ひとつひとつ丁寧に仕上げられています。
うまれたての赤ちゃんには、紐を通しお母さんの首から下げてオルゴールボールのように。自分で鞄を背負えるようになったら鞄につけて。大きくなったら鍵や首元に。子ども時代からおとなまで、そして何世代までも末永く使える銀の鈴。気持ちを込めた贈り物として、自分自身へのプレゼントとして、世界に一つの音色をお届けします。













