第三回 つむぎなおす『手しごと』
僕は、『手しごと』ウエルビーイング 〜 私とつながり、◯△▢とつながる、暮らしの手しごと 〜 のナビゲーターを担当することになった冨田貴史という者です。
月に1回のペースで、13回にわたって記事を書いていきます。それなりに長い旅路になると思いますので、どうぞ気楽に、リラックスしてお付き合いいただけましたら幸いです。
日本古来の色の名前
この記事がリリースされる9月20日は、秋分の日の3日前。秋の彼岸入りの日です。秋の彼岸は、秋分を中日として、前3日と後3日を合わせた7日間になります。
彼岸とは「彼の岸」、つまり「あちらがわの岸」のことで、西方浄土をあらわします。西は「いにし」という言葉から生まれた言葉です。いにし=居にし=居た、という意味で、「いにしえ」という言葉は「過去に居たところ」を表します。西は過去に居た場所、過去の方角、ご先祖様の居る場所、浄土、ということなんですね。彼岸の頃の太陽は真東から昇って、真西に沈みます。
そして、彼岸の夕暮れに、沈む太陽が示す先祖達のいる西の方角に手を合わせる風習は、今も各地に残っています。
私たちは毎秒400メートルほどの速度で、東に向かって自転しているので、西は私たちの居た場所になります。
朝方に登る太陽によって染まる東の空の色はあかつき(暁)。
夕暮れに沈む太陽によって染まる西の空の色はあかね(茜)。
他にも赤系の色の名前はとてもたくさんあります。
2019年に亡くなられた染織家の吉岡幸雄さんは、昔ながらの色の復元を目指して、天然の染料、助剤だけを使って染めを行い、日本のもともとあった色の名前とともに紹介する『日本の色辞典』を、ご自身の立ち上げた出版社「紫紅社」から発行されています。
参考文献
編集:吉岡幸雄 発行:紫紅社(2000年)
日本の伝統色を日本古来の植物染で再現し、総カラー最新ダイレクト製版で見せる、色標本・色名解説の集大成。襲の色目 (かさねのいろめ) 42種も掲載。 日本には美しい色名がいくつもあります。本書では収録した466色のうち209色の日本の伝統色を、日本古来の植物染により再現。色名にまつわる逸話や歌、物語などにもふれながら、日本の色の歴史や文化を平易に解説。 万葉から江戸時代の染職人が行っていた自然の植物から色を汲み出す業を、半生をかけて現在に蘇らせたのは、日本の染色界の第一人者、京都で200年以上続く染屋「染司よしおか」五代目当主の吉岡幸雄氏と染職人の福田伝士氏。
(以下、本文より)
太陽によって一日がアケル。そのアケルという言葉が「アカ」になった。アカはまさに神の色といえるのである。日本でいえば、古代神話のなかで、天照大神は文字どおり天を照らす太陽神をあらわしているのもその一つの例といえる。
太陽は高く昇り、人に光を与え、植物を育む。そして西の空に傾くときには、その光に感謝して、それから暗闇の世界に入ることへの一抹の淋しさをこめて、地平線に沈みゆく太陽を見送りながら祈った。
人間が太陽の光の恵みを受けて、まず「アカ」の色に関心を示したのは自然なことである。
<収録した色名の例 ー赤系>
朱色、真朱(まそほ、しんしゅ)、洗朱(あらいしゅ)、弁柄色、代赭色(たいしゃいろ)、赤銅色(しゃくどういろ)、珊瑚色、煉瓦色、樺色(かばいろ)、茜色、深緋(こきあけ)、紅葉色、朱紱(しゅふつ)、纁(そひ)、曙色、紅、掻練(かいねり)、紅絹色(もみいろ)、艶紅(つやべに)、深紅(ふかきくれない)、唐紅(からくれない)、今様色(いまよういろ)、桃染(ももぞめ)、撫子色、石竹色(石竹色)、桜色、桜鼠(さくらねずみ)、一斤染(いっこんぞめ)、退紅(たいこう)、朱華(はねず)、紅鬱金(べにうこん)、橙色、赤香色(あかこういろ)、梔子色(くちなしいろ)、牡丹色、躑躅色(つつじいろ)、朱鷺色(ときいろ)、蘇芳色(すおういろ)、臙脂色(えんじいろ)、猩々緋(しょうじょうひ)など104色。
色の名前が多いということは、その色の名前を口にする機会、色に触れる機会、色をつくる機会、が多かったということだと思います。染織家がいて、その色を縫い、まとい、生活に取り入れる人たちがいること。多様な色とともにある暮らしがあること。
前回の記事の中で、今から104年前の大正9年に行った、初めての国勢調査の時に作られた「職業分類」の表を紹介しました。その中には、染料植物の栽培や、布の素材となる綿、麻などの栽培、絹の為の蚕を飼う仕事、建具や布地に色を付ける仕事も含まれています。そして、手しごと的に行われていたそれらの仕事が、今はほとんど機械化されています。
色の名前が失われるということは、その色に触れる機会が失われていくということ。暮らしの中に、工場で作った均一な製品が増えることで、色の多様性は失われていくのかもしれません。
ホール・アース・カタログ
ここからは、アメリカのカリフォルニア在住であったスチュアート・ブランドが中心になって1968年に創刊された「ホール・アース・カタログ」という本についての話から「手しごと」の世界を紐解いてみたいと思います。
ホールアースカタログってあるじゃないですか。その当時のヒッピームーブメントのバイブル的な存在になったって言われてますけど。スティーブ・ジョブスも参考にしてたっていう話。
この地球の生活の中で、既にあるもので、こんなにいろんなものが実はあるよね、僕らこれにすぐ手にアクセスできるよねっていう、カタログになっていたらしくて。
今の現代生活、地球の生活を生きていく上で、 ごま塩とか、みそとか、そういう手しごとがあるんだよね、みたいな、現代版のホールアースカタログ的な、そこまで壮大じゃないにしても、アクセスできる情報として、カタログ的な何かみたいなのも面白いかな。
僕は、ホールアースカタログ、実はあんまりちゃんと読んでなくて、pdf見たりとか、いろんな記事を読んだりぐらいなところで 知ってるわけではないんだけど、この手しごとの連載企画が、現代版の切り口のカタログ的、現代を生き抜くためのサバイバルカタログじゃないけど、そういう雰囲気のものになるのは面白いと思う。
そこに僕たちがリスペクトしている、松木正さんのことだったり、地球暦だったり、いろんなことにつながって、そのカタログのページがこう増えていくというか。そういう可能性も秘めてるなという思いがある。
そういう色々のレイヤーのものがあるっていうことが、大事なんだろうとちょっと感じています。
僕はこのカタログの現物は見たことがなくて、『スペクテイター』という雑誌で特集を組んでいて、それを読みました。たぶん今は、誰かに貸していると思います。
参考文献
『スペクテイター 29号 ホール・アース・カタログ(前篇)』
『スペクテイター 30号 ホール・アース・カタログ(後篇)』
編集:エディトリアル・デパートメント 出版:幻冬舎
読んだ時の記憶をたどると、このカタログは自給的な暮らしや環境に負荷をかけないライフスタイルのために必要な道具やノウハウ、考え方や参考書などが多岐にわたって紹介されている本で、1968年の創刊以来、何回かにわたって発行されていたようです。
いわば毎回が「未完成版の」カタログであった、という印象があります。
こちらのサイトで、オリジナルのホール・アース・カタログのアーカイブPDFを観ることができます。編集上の焦点は、自給自足、エコロジー、代替教育、「自分でやる」、ホリスティックで、「ツールへのアクセス」というスローガンを掲げていました。
ちょうど最近、「スペクテイター」を編集しているエディトリアル・デパートメントから刊行された『ヒッピーの教科書』の中の「用語解説」でこのカタログを紹介していました。
参考文献
赤田 祐一, 関根 美有 (著) 発行:エディトリアル・デパートメント(2024年6月発行)
「ホール・アース・カタログ」
物質文明に依拠しないで地球で生きていくために必要な道具と技術と知性を集大成したカタログ。スチュアート・ブランドにより1968年創刊。
ー本文「用語解説」より
この本自体、装丁もとてもいいし、内容も充実していて、とてもおすすめです。
「今」という時代
ここでアラタさん、ミネさんの言葉に戻ると、「今の時代」「現代生活」「日本」「サバイバル」というキーワードが出ていました。
「今」という時代を「日本」という地域性と組み合わせると、僕は2011年3月11日に起こった地震、津波、それに伴う原発事故、そこから変わった社会情勢のことを連想します。「あのとき起こった出来事を通じて生き方が変わった」という話や「人生を見直す大きなきっかけになった」という話を実際とてもよく聞いてきましたし、僕自身もその一人です。
僕が手しごとのための作業所として「冨貴工房」を2012年に立ち上げた背景に、生き方や暮らしを見直したいという思いがあったことは間違いありません。そして、今の時代とか、サバイバルという言葉と向き合う上で、2020年に始まったロックダウンがもたらしたインパクトも大きかったと思います。暮らしや仕事の中に様々な規制が生まれ、食事のあり方、仕事のあり方、コミュニケーションのあり方が一変しました。
ここでひとつ、紹介したい映画があります。
参考文献
『都市を耕す エディブル・シティ』 (2014年/米国)
監督:アンドリュー・ハッセ
日本語版制作・配給:エディブルメディア
内容案内:畑で街を占拠しよう!
舞台はサンフランシスコ、バークレー、オークランドの3都市。「空き地で、食べ物を作れるんじゃない?」 経済格差の広がる社会状況を背景に、新鮮で安全な食を入手するのが困難な都市を舞台に一部の市民が始めたアスファルトやコンクリートをガーデンに変えて行く活動。それが共感を呼び、世界に大きなうねりを生んでいます。
「食が重要視されないなら 市民がその重要性を訴えるだけ」「(社会の中で)問題は山積みだけど 食なら人々の力で変えられる」 そんな思いから、健康で栄養価の高い食べ物を手に入れるシステムを取り戻そうとさまざまな活動が生まれて行く。
そして、一人一人の活動がコミュニティを動かす力となり、社会に変化をもたらす。卓越した草の根運動のプロセスを実感できるドキュメンタリー。
僕は2020年の夏から、この映画を配給する「エディブルメディア」のスタッフとして、自主上映の申し込み窓口やイベントの企画などをしています。この映画は日本でも、カフェや公民館や古民家などで開催される自主上映会などによって全国各地に広まっていきました。
しかし、2020年春に感染症拡大による世界的ロックダウンが起こったことの影響で「皆で集まって映画を見る」ことが難しくなりました。そして、その後の社会的な混乱、食糧の生産や流通システムの劇的な変化を目の当たりにする中で「今こそ、この映画のメッセージを届けたい」と思い立って、期間限定のオンライン無料公開を行いました。その結果、約2ヶ月の間の視聴数は54000回以上となりました。
その反響に驚きながら「今までの5年間に上映会などで見てもらった総数を上回ってるよね。いったい何が起きてるんだろう」「やっぱり今、この映画のメッセージを改めて伝え直す時だね」という話になり、エディブルメディアの運営体制を見直して、ウェブサイトやYoutubeチャンネルをリニューアルする動きを作りながら今に至っています。
そして、「早速アンドリューに日本でのこの反響を伝えたい」「彼が今思っていることを、日本で関心を寄せている人たちに届けたい」という思いからインタビューを申し込んだところ、快く引き受けてくれることになりました。彼とのインタビューの内容はYoutubeに字幕付きで公開していますが、その一部を少し編集した形でお届けしてみたいと思います。
インタビュー日時:2020年8月7日(ズームにて) / インタビュー:冨田栄里
今年、この映画を期間限定で無料公開したところ54000viewを越える視聴があって、おそらく今回初めてこの映画の存在を知った人もたくさんいると思うの。
そんな今、あらためてこの映画を作った動機とかいきさつに興味を持っている人も多いんじゃないかな。
日本の多くの人たちに関心を持ってもらって、こういう機会をもらえていることをとてもありがたく思うよ。僕がこの映画を作り始めたのは2008年のことなんだけど、そのころ僕の中には農的な暮らしをしたいという思いがあったんだ。
畑や菜園があちこちにあるような場所にいたら、食べものについて考えることは難しいことじゃない。もし食べものを手に入れたいと思ったら、畑に行くか、菜園に行くか、ファームスタンド(直売所)に行くだろう。
でも、僕の家族や映画を見た多くの人達が住んでいるような都会では、食べものを得るために全く別なことを考えなければいけない。「食」というテーマと向き合ってみて分かったのは、都市のあり方を見つめる視点は欠かせないものだということ。
都市における消費動向や経済のありかたが世界に及ぼす影響は、田舎のそれとは比べものにならないくらい大きい。だから、自分がどこに住んでいるかに関わらず、都市の食のあり方を見つめるということは、とても大事なことだと思う。
この映画を作ってから何年もが経過して、今年に入ってからは世界的ロックダウンも起こった。この間に起こった変化についてはどう感じている?
日本の多くの人たちに関心を持ってもらって、こういう機会をもらえていることをとてもありがたく思うよ。僕がこの映画を作り始めたのは2008年のことなんだけど、そのころ僕の中には農的な暮らしをしたいという思いがあったんだ。
畑や菜園があちこちにあるような場所にいたら、食べものについて考えることは難しいことじゃない。もし食べものを手に入れたいと思ったら、畑に行くか、菜園に行くか、ファームスタンド(直売所)に行くだろう。
でも、僕の家族や映画を見た多くの人達が住んでいるような都会では、食べものを得るために全く別なことを考えなければいけない。「食」というテーマと向き合ってみて分かったのは、都市のあり方を見つめる視点は欠かせないものだということ。
都市における消費動向や経済のありかたが世界に及ぼす影響は、田舎のそれとは比べものにならないくらい大きい。だから、自分がどこに住んでいるかに関わらず、都市の食のあり方を見つめるということは、とても大事なことだと思う。
Youtubeでインタビュー動画全体をシェアしています。
アンドリュー・ハッセ
カリフォルニア州バークレー生まれ。
2008年に開催された『Slow Food Nation 2008』への参加をきっかけに食の問題に関心を持ち始め、シナリオを作らずにドキュメンタリー映画の製作を始める。
映画を作る過程で、質の良い地元産の食材による、再生可能な食のシステムが持つ力に目を開いていき、2014年に『Edible City』(原題)を完成させる。それ以来、映画の上映活動を続けながら、長編映画の編集や、再生可能な農業やシステム設計に焦点を当てた活動に関わっている。
現在は、北カリフォルニア(オクシデンタル)に居を移して、生態系の一員としての生き方について学び続けている。
出会い直す世代
アンドリューが「100年前では当たり前だったこと」と言っています。日本だと大正時代ですね。1924年は大正十三年です。
先ほども触れましたが、初めての国勢調査が行われたのは大正九年のことです。この時代にはあったけど、今はなくなった仕事がたくさんあります。職業以外にも、暮らしの中の色々な手しごとが失われていっているのかもしれません。そして私たちは、「そこに出会い直す世代」なのかもしれません。
僕自身、原発事故が起こった後、支援物資として味噌や梅干しなどの放射能対策になる食品を現地に送ろうと思ったときに「自分の暮らしの中に、いざという時に送れる備えがない」ということを目の当たりにして落ち込んだことを覚えています。
そこからの反動で、味噌や梅干しや塩などの基礎食品を作りながら「衣服のあり方も見直したい」と思い立ち、「草木染め」する仕事を始めたのでした。ここで「草木染め」という言葉をカギ括弧で括った事には理由があります。草木染めという言葉は、昔からあった言葉ではありません。
草木以外のもので繊維を染める「合成染料工業」が染色業のほぼすべてを占めるようになっていく流れの中で生まれた言葉です。合成染料が生まれたのは、1856年のことです。
この時、18歳であったイギリス出身のウィリアム・ヘンリー・パーキンは、コールタールから「ティアリン・パープル」と呼ばれる紫色の色素を発見して、翌年これを工業化して市販を開始しました。これが合成染料の始まりと言われています。
その後、イギリスやフランスで工業化された合成染料による染色は、戦争のための軍服を大量に均一に染めるために都合がよく、第一次世界大戦、第二次世界大戦などを経るごとに、世界中に広まっていきました。そして日本においても、手しごとでの染色は、機械での合成染料による染色に取って代わっていきました。
そのような流れの中、1892年に長野県麻績村に生まれた山崎斌(あきら)さんは、伝統的な染色の復興や、養蚕農家の不況対策のために、絹糸を天然染料で染め、手織りによる織物(紬)を復興する運動を始めます。
そして1929年に、化学合成染料による染めと区別するため、昔ながらの手法での、草根木皮による染めを「草木染」と命名したのでした。失われかけたものに、名前をつけ直して、守ったのですね。
彼は当初「草木染」という言葉を守るために商標登録したのですが、「自分もこの言葉を使ってよいか」という問い合わせに対して「草木染を行う人達は同じ志を持っている」として、すべての申し出を受け入れていき、後に誰でも使える言葉になっていったと言います。そして彼の息子の青樹さん(2010年逝去)も、その息子の和樹さん(草木染工房主宰)も、その息子の広樹さんも草木染作家として活動してきています。
参考文献
編集:山崎和樹 イラスト:川上 和生 出版:農山漁村文化協会(2006年)
1000年以上続いてきた日本における染色の歴史が途絶えかけてから、その道を復活させようと声をあげ、そこから4代に渡ってその思いが受け継がれ続けている。
今この原稿を書くために草木染めの歴史を改めて辿っていく中で、山崎家の100年の営みに出会い直し、とても感動しています。
「ひとりひとりが、架け橋になること」という、アンドリューがインタビューの中で言っていたことと、国を越えて響き合っているような気がします。
朝、雑草抜いてて思ったんだけど、「昔はヨモギとか、おばあちゃんと摘んでたな」っていう話とかを知り合いから聞いても、実はあまりピンときてなくて。
私の場合は、おばあちゃんも母も、あんまそういうことする人じゃなかったから。だからなんか全然実感がなくて。
むしろ今、そういう感覚を掘り起こしている感じがすごいある。「季節に合わせた暮らしのいろんなこと」って、 子供が生まれてから私も掘り起こしている。
暮らしに関するいろんなこと、季節に関するいろんなこと。1回切れたものを、もう1回つぎ直して いく世代なんだろうなって思う。
竹紙100のノートを買ってくれたお客さんから先ほどメールが来て、石川の自然学校のインストラクターされている方で、竹風鈴のクラフトなどをしようと、竹について調べて、竹紙100ノートに当たりましたとのこと。
竹を切ったり編んだりする手しごとっていうのは、昔から日本にあったと思うけど、戦後はかなり少なくなってきた。でもそんな中で、逗子や鎌倉で”竹部”っていうのができて、竹林の管理から、手しごとまでを楽しくやる部活みたいな活動をしている人たちがでてきている。僕たちも竹紙100ノートで竹とつながっているけど、改めて日本での竹とのつながりが変化してきているのかもしれない。
竹細工は日本の伝統工芸の一つだと思います。僕が小学生の頃を振り返っても、図工の時間に竹ひごを使った工作をしたり、竹とんぼを作ったりした記憶があります。昔はもっともっと、竹細工が身近にあったんでしょうね。
僕は、新潟の北東部に位置する阿賀野市の山あいで年2回行われている保養イベント「風フェス」にスタッフとして参加し続けています。保養活動とは放射能の影響から子どもたちを守る活動の一つで、「風フェス」は放射能対策になる食事や自然体験、健康検査やカウンセリングなどを受けることができるイベントになっています。
このイベントに食事づくりや養生ドリンクバーに関わっている目黒裕美ちゃんという友人は、この阿賀野の山の中で続けられてきた「竹かご編み」を受け継いで活動をしています。
「今板竹かごの会」<Instagram>
新潟県の旧笹神村今板地区(現阿賀野市)五頭山麓にて お山の恵みの竹を活かし、自然の営みの一部として竹かごを編んでおります。 約300年受け継がれてきた竹かご文化をどの様に次世代に繋いでいけるかワクワク楽しんでいます。それぞれの地域の竹でかごを編むキッカケ作りもできたらと試み中。
「日毎の暮らしに使える道具としての竹かごを知ってもらえるよう、 また、それ使ってる方々の家族や友人たちがゆたかな氣持ちなって日々を暮らせるよう祈りながら樂しく作らせてもらってます」(代表:目黒裕美)
阿賀野という地域はその昔、日本海側の新潟湊と福島県西部の山あいに位置する会津地方をつなぐ「塩の道」の途中にありました。日本海岸で炊かれた塩は、俵に詰められて川舟や馬の背に載せて会津の山奥に運ばれていました。
この会津の山間部に位置する「会津山村道場」で2013年に塩炊きを行った時に出会った青年は、奥会津の只見地方で山暮らしをしながらカゴやザルやカバンやワラジを作っていました。彼は山に自生するマタタビやアケビなど、色々な植物の蔓(つる)を使って作品をつくるのですが、どれもとてもかっこよかったです。そして、そんな彼は事あるごとに 「地元のじいちゃんたちには叶わない」と言っていました。
彼いわく、地元のおじいさんたちは「この蔓は乾くと強くなる」「この蔓は使えば使うほど柔らかくなる」「これは切れにくい」「これは煮れば使える」みたいことを喋りながらどんどん編んでいくんだそうです。そして、その手さばきも、編まれたカゴやワラジの仕上がりも、とても美しいんだと言っていました。
その話を聞いて、手元の動きや仕上がったものを見て「すごい!」と感じること。その感覚、感性に「架け橋をつくる」カギがあるような気がします。
なにかに出会った時に「ハッ」とすること。そこで、ショックを受けること。そういった感情の動きを体験するところから、見つめ直し、学び直し、つなぎ直し、が始まることもあるのではないでしょうか。
これは、前回の記事でアラタさんが言っていた「カウンターパンチ」の一つなのではないか、と思ったりします。そこから僕は、「畏怖」とか「畏敬」という言葉を連想します。
染織家 吉岡幸雄さん
今から11年前に、先ほど紹介させていただいた吉岡幸雄さんと会ってから、自分が感じていた感情、感覚は「畏怖」「畏敬」という言葉で表すことができる気がします。その時は、そう認識できていませんでしたが、今振り返るとそう思います。
吉岡幸雄
昭和21年・1946年 京都市に生まれる。生家は江戸時代から京都で四代続く染屋である。父常雄はのちに大阪芸術大学教授として教壇に立つとともに、世界の染色研究に没頭し、とくに貝紫の研究の第一人者であった。伯父に日本画壇の重鎮、吉岡堅二がいる。
日本人は侘・寂 (わび・さび) といった言葉で表現されるような、くすんだ色を好んだのではなく、いつの時代も透き通った色鮮やかなものを欲していた。その日本人の鮮やかな色文化を伝統的な植物染により現代に蘇らせた吉岡幸雄は、近年、国内だけでなく、海外からも注目を浴びている。 2019年に心筋梗塞により73歳で永眠。
僕は当時、吉岡さんの日々の営みを記録したドキュメンタリー映画『紫』の上映会にトークゲストとして呼んで頂いた時に、会場に来ていた吉岡さんと出会って、交流をさせていただいていました。
参考文献
映画『紫』
出演:吉岡幸雄、福田伝士、染司よしおか(2011年) 日本映画 77分 川瀬美香監督 製作:ART TRUE FILM
植物だけの色。途絶えかけた日本の心。日本古来の植物染料にこだわり、育て、染める。この映画は、美しさにとり憑かれた男の記録である。
吉岡さんは、映画の中で「奈良時代の人たち(の染色)に挑んでいる」と言っています。「色々便利になったんだからやれるだろう、って思うけど、できないんだ」とも言っています。お会いした時も「先人たちに叶わない。だからこそ一生をかけて挑んでいく」と言っていました。
そこで、畏怖、畏敬の念という言葉を使っていました。
奈良時代の染色を紐解いて、その技術の高さ、作品の凄さに出会って、恐れおののく。そして、尻凄みして、何歩も何歩も後ろに退いて、そこから一歩ずつ一歩ずつ近づいていくんだと、そう言っていました。そんな吉岡さんに出会って、僕は一旦は染めができなくなりました。
自分のやってきた染色が、いかにいい加減で、適当で、手抜きで、ヴィジョンのないものだったか。脳内に自分へのダメ出しコメントが渦巻き、これは途方もないな、と思いました。でもそんな日々を3ヶ月ほど過ごす中で、それでもやっぱり向き合いたいという思いが湧いてきて、染めの工程のすべてを、一つずつ見直していくことに決めました。
吉岡さんに初めて会ったのが2013年11月なので、そこから10年ちょっと経ちました。ショックを受けて、恐れおののいて、何歩も何歩も後ずさりして、手を止めてから、一歩ずつ歩み直す。その道の上を今も歩んでいる、という実感があります。
「うしなわれたものはなんだろう」
「わたしができなくなってしまったことはなんだろう」
それらを一つずつ、手にとって点検していくような感覚もあります。吉岡さんは、知り合いの農家さんに紅花や紫草や藍や茜を栽培してほしい、と頼んだりします。
映画の中にもそういうシーンがあります。吉岡さんは「助けてほしい」と言います。「人に助けを求めることができる人」と言い換える事もできるかもしれません。
ここで僕は前回の記事の中で登場したジョアンナ・メイシーが「サポートをしあうことの大切さ」を言っていたことを思い出します。
「助けを求めること」ができる。
それはたぶん、吉岡さんが「染料植物がなくなっていくこと。伝統的な染めの文化が失われること。それによって困ること」について、「これは自分だけが困る話じゃない」と思っていたんだろうな、と今になって思います。生前にお会いしたときも、原発の話などで散々盛り上がったあとに「水を良くしたいんだ」ってすごく熱く言っていました。
吉岡さんの工房がある京都市伏見区の「伏見」という漢字は、もともとは地下水のことを表す「伏水(ふしみ)」という漢字が使われていたんだ、と。
「その頃のようなきれいな川と地下水を取り戻したい」と。
きれいな水とともにある地域と、そこにある暮らし。その思いを、暮らしを、受け継ぎたい、と心から思います。今の自分に出来ていないことも、一歩ずつ地道に歩むように、少しずつ、できるようになっていきたいと思います。
吉岡工房では、稲わらを灰にして、染めの媒染に使っています。紫草の根っこを、石臼ときねをつかって、つぶして、染料を作ります。僕はその所作を見て、とても美しいなと思ったし、今も、その所作や息遣いのことを考えたりしています。
所作、立ち振る舞いって、日常のいろんな動作とすごく繋がってるなっていうふうに思っていて、その、手しごとというか、日常の暮らしのことって、本当にさまざまな動きがあるから、今それを省いてしまうと、このパソコンのこの手だけ、手先だけを使うというか、タイプすることだったり、動きがすごく限られちゃうんだけれども。
体動かすと、息がちゃんと整っていることと、体動かすことって結構重要だなって改めてこの間の畑仕事で思って。 多分あんまり、じっとして座ってパソコンしている時にあまり呼吸って思わなかったけど、体を動かす時にはすごく呼吸に自然に意識が確かにこの間向いたなって、今言われてみて、ジャガイモ運ぶのでも草を取るのにも、深い息を何度もついたなと思って。
参考文献
(以下、本文より)
よく学力問題とセットになって、「現代人は知力が劣ってきている」と言われますが、必ずしもそうではないでしょう。現代社会は処理しなければならない情報量がとにかく多い。複数のことを瞬時に判断して次々に処理していく「マルチタスクな能力」ということで言えば、昔の日本人より格段に優れた才を有しています。それは子どもにしてもそうです。しかし、昔に比べてはっきり劣っていると断言できるもの、それは呼吸と連動する身体文化です。
私はこれまで身体論に関する著書の中で、<腰肚文化>という表現を多く用いてきました。腰と肚の構えがしっかりすることで、肉体に力強さが漲り、落ち着いてどっしりとした動きができる。これは一つの身体的「技」であり、反復練習によって身につけられるものです。この腰や肚の据わった状態というのは、腹で深い息をすることによって可能になります。
<腰肚文化>を支えていたのは、紛れもなく呼吸力なのです。
(中略)
火を熾す(おこす)、水を汲む、土を耕す、稲を刈る、薪を割る、重いものを担ぐ・・・、どれもみな、腹の底に深く息を吸ったりぐっと止めたり吐いたりしなければ、力を込めることができない動きです。生きていくのに、生活していくのに、深い呼吸というものが必要不可欠だった。そして、「吸う」「止める」「吐く」それぞれにコツがあり、決まった「型」があり、それを人々は<技>としていたのです。
呼吸力
現代、いろんなことができるようになって、特に情報処理能力は上がってるけれども、衰えてるものは何なのか。前号で紹介させていただいた宮本常一さんの言葉を借りれば「何かが進歩する時に、何かが退化する」ということがあります。
その一つが呼吸力。
そして、呼吸力を土台にした身体力、ふんばり、みたいなものが著しく衰えている。この本の中でも言及されていますが、その影響で人と人との間でも「息を合わせる」というようなことができなくなっていたりとか、息が続かない(長続きしない)みたいなことが起きていると言われています。
僕は、この本の中で紹介されている呼吸法を生活の中に取り入れていますが、特に斎藤さんがイチオシされている「3秒吸って、2秒留めて、15秒で吐く、三・二・十五の呼吸法」は、やってみると、その時の自分の状態が分かって面白いです。
肩に力が入っているとか、氣がハラに落ちていないとか、逆に「思ったより長く吐けるな」とか、その時々の自分を知ることが出来るし、この呼吸法を数分続けているだけで、息が整っていきます。
先週、スカウティング”モモ”っていうキャンプ企画で火のワークというのを子ども達とやったのだけど、枯れ葉や枝を拾ってきて、重ねて組んみで、最後火をつけて160cmの高さの炎を上げるるっていうやつなんだけどけど、大切なのは集中の仕方というか、特に最初の部分をどう気持ちを持って組んでいけるか。
やっぱりワシャワシャって組んじゃうとガシャって崩れたり、焦ってくると組んでる木が途中で密度が薄くなったりとか。
こう、組み上がり方に人生みたいものが見えてきて、足りない部分がそれを組んだ後に見えてくるっていう、見た感じでわかるというか、心のありようみたいなものが、自分の気持ちがフィードバックされるっていうのが、そういうとこでもあったな。
あと、手しごとの話だけど、僕がパソコンに座ってる以外に何やってるかなと思ったら、せめて料理作るとかぐらいしかやってないな。
でもサラリーマンをやってる頃はそれすらやってなくて、どっかで食べて帰ってくるみたいな。そういう意味では、本当に身近なところでは、料理もある意味手しごとだよね。 疲れてると塩辛くなったりね、刻み方もやっぱりこうね、ちょっと焦ってるとね、包丁で手切ってみたり。
多分手しごと、さっき、タカさんの染めもそうだけど、見事に自分がそこに現れてくるっていう部分はあるなって思う。
手しごとっていうのは、実は技で、技術なんだけど、民藝っていうところともすごく繋がっていて、手しごとだったり芸だったり、アートの部分っていうのが、ある種の自己表現っていうか、自己がそこに立ち現れてくるというか、なおかつそれが自分を越えていく部分でもあるような気はする。
アラタさんの言う「自分を越える」という言葉の意味は、自分自身の今を知り、気付き、認識して、ちょっとずつ修正していくみたいな意味なのかな、と思ったりします。その気付きや発見が大きいと「ガーン!」となることもあるけれど、その気付きを元にして、新しい自分のあり方を再構築していくこともできる。そのプロセスを「自分を越えていく」と言い直すことができるのかな、と思いました。
僕は、仕事で草木染めをするとき、6時間くらい作業することがあります。この作業の始まりの1時間くらい、やたらとタライから水やお湯をこぼして、土間の床がビチャビチャになることがあります。そして、そのことに気づいて「なんか俺、荒れてんな」とか「もしや、昨日のあの出来事について、ちょっとムカついてる?」とか「思ったより疲れてんだなー」とか「今日、仕事の予定入れすぎてる?」とか「締切に追われている?」とかという感じで、内観が起こっていったりします。
僕は普段から常に丁寧な仕事をしているかというと、全くそんなことはなくて「時間をかけることで丁寧さを取り戻す」ということを日々繰り返している実感があります。荒れた呼吸を、時間をかけて取り戻す。手しごとをしながら、自分を見つめ直して、整えていく。そのための時間をなるべく取るようにしています。
染め、すすぎ、媒染、すすぎ、染め、すすぎ、媒染、すすぎ、染め、すすぎという反復作業を何時間かかけてやっていくことで、だんだんその仕事に息が合ってくるっていう感じがします。そうやって日々、自分を発見しなおして、整え直している感じがあります。
ゆがみ、ズレ、違和感。
それらは生きている以上避けられないものなのかもしれません。そして、そんな状態の観察と理解から、新しい動きが生まれるのかもしれません。
1911年に生まれて「野口整体」を創立した野口晴哉さんは、『整体入門』や『風邪の効用』などの著書を残し、人はそれぞれの体癖などによって、歪みやズレが生じる、と語られてきました。それらの歪みやズレがたまったときに、調整をするために起こる現象のひとつが、風邪である、とも書かれています。歪みやズレを感じた時、または風邪のような病を患った時、何の観察や理解もなしに、急いで、無理やりに直そうとすると、歪みやズレはより深刻なものになると言います。
参考文献
著者:野口晴哉 出版:ちくま文庫(1984年)
内容:風邪は自然の健康法である。風邪は治すべきものではない、経過するものであると主張する著者は、自然な経過を乱しさえしなければ、風邪をひいた後は、あたかも蛇が脱皮するように新鮮な体になると説く。本書は、「闘病」という言葉に象徴される現代の病気に対する考え方を一変させる。風邪を通して、人間の心や生き方を見つめた野口晴哉の名著。
今回、たくさんの本や映画を紹介させていただきました。
僕は「自分が何かを伝えるときは、自分が影響を受けた人や作品を紹介すること」を大事にしたいと思っています。自分が受け取ったものを分かち合って、一緒に味わって、一緒に消化(昇華)していきたいという気持ちが強いのかもしれません。
彼岸を過ぎて「秋の夜長」を実感しやすい季節になってきています。夜なべの手しごともいいでしょう。そして、読書の秋、芸術の秋を楽しむにも良い時期になってきていると思います。以下に改めて、今回の記事に関連する書籍、雑誌、映画を並べてみます。
少しずつ「手しごとアースカタログ」みたいなものを編んでいけたらステキかもしれませんね。もしそうなるとしたら、一人ではなく皆で、共同作業のように進めていけたら嬉しいです。
ではまたひと月後にお会いしましょう◯△▢
今回の記事に関連する書籍・雑誌・映画
- 『日本の色辞典』編集:吉岡幸雄 発行:紫紅社
- 『スペクテイター 29号 ホール・アース・カタログ(前篇)』
『スペクテイター 30号 ホール・アース・カタログ(後篇)』
編集:エディトリアル・デパートメント 出版:幻冬舎 - 「ホール・アース・カタログ」のアーカイブPDF
- 『ヒッピーの教科書』発行:エディトリアル・デパートメント
- 映画『都市を耕す エディブル・シティ』 監督:アンドリュー・ハッセ 日本語版制作・配給:エディブルメディア※オンライン視聴も出来ます。自主上映を希望される方は冨田まで。
- 『新装改訂版 染司よしおかに学ぶ はじめての植物染め』著者:吉岡更紗 出版:紫紅社
- 『草木染の絵本 (つくってあそぼう)』編集:山崎和樹 イラスト:川上 和生 出版:農山漁村文化協会
- 映画『紫』監督:川瀬美香 製作:ART TRUE FILM 出演:吉岡幸雄、福田伝士、染司よしおか ※自主上映を希望される方は冨田まで。
- 『呼吸入門』著者:齋藤孝 出版:角川書店(角川文庫)
- 『自然体のつくり方』著者:齋藤孝 出版:角川書店(角川文庫)
- 『風邪の効用』著者:野口晴哉 出版:筑摩書房(ちくま文庫)
- 『整体入門』著者:野口晴哉 出版:筑摩書房(ちくま文庫)
冨田貴史(とみたたかふみ) プロフィール
1976年千葉生まれ。大阪中津にて味噌作りや草木染めを中心とした手仕事の作業所(冨貴工房)を営む。
ソニーミュージック~専門学校講師を経て、全国各地で和暦、食養生、手仕事などをテーマにしたワークショップを開催。著書『春夏秋冬 土用で暮らす』(2016年/主婦と生活社・共著)『いのちとみそ』(2018年 / 冨貴書房)『ウランとみそ汁』(2019年/同)、「未来につなげるしおの道」(2023年/同)など。