第五回 キッチンは「巡りと恵み」の調合室
僕は、『手しごと』ウエルビーイング 〜 私とつながり、◯△▢とつながる、暮らしの手しごと 〜 のナビゲーターを担当することになった冨田貴史という者です。
月に1回のペースで、13回にわたって記事を書いていきます。それなりに長い旅路になると思いますので、どうぞ気楽に、リラックスしてお付き合いいただけましたら幸いです。
冬の始まりを告げる立冬を過ぎて、一気に寒くなってきましたね。「つい最近まで暑かったのに、今度は急に寒くなって。秋物の服を着る暇がなかった」というような声もよく聞きます。冬は、来たる新しい年のために、籠もってエネルギー(精)を蓄える季節とも言われています。
昔ながらの冬の手しごとを連想してみると、大豆を茹でて、お米を蒸して糀をつけて味噌を仕込むとか、竹炭や木炭を焼くとか、塩を炊くとか、「お日様に当たる時間が少なくなっていくにつれて、火に当たる時間を増やそうとする」ようなイメージがあります。
そして冬の始まりはやっぱり籠もる準備かな、と思います。収穫したお米や大豆や小豆を干して、脱穀して、より分ける。稲わらは焼いて灰にすれば染色の媒染に使えます。大豆のサヤは、乾燥させてから再び畑に混ぜ込む農法もあります。夏の間に刈り取って干してあった竹を、切り出して焼いて竹炭にしたり、暖を取るための薪を割って積み上げたり、その薪を使って塩を炊いたり。
「夏は米作り、冬は酒造り」という言葉もありますね。このような昔ながらの手しごとの数々は、失われかけているようにも見えますが、全国各地で色々な人達と交流する中で、こういった手しごとのある暮らしを取り戻していこうという流れを感じたりもしています。ここで、非常に「手前みそ」ですが、『未来につなげるしおの道』の一節を引用してみます。
僕の母方の実家は、上毛三山の一つ、群馬県の東側にそびえる赤城山の中腹あたりにある。家のまわりは見渡すかぎり森また森で、祖父の仕事は馬の世話と山の世話だった。家の玄関を開けてまっすぐ進むと畳張りの居間があり、右側には土間が広がっていて、そこは台所になっている。
土間の壁沿いには、大小合わせて3つの焚き口がある竈門が並んでいる。壁に据えつけられた棚には、祖母が仕込んだ梅干しやビワの焼酎漬けなどの入った瓶が並べてある。
土間の真ん中にある大きな台の上には、野菜の入った籠や、切り干し大根やひじきの煮物などの惣菜や、祖父が捕まえてきた稲子の佃煮が置いてある。
土間と庭の間を、猫や犬やあひるが行ったり来たりしていて、床に落ちた残飯をついばんだりしている。祖母が玄関先にある蛇口から流れ続けている川水で手を洗って、口をすすいでから縁側に腰をかけると、隣の家のおばあさんが遠くの方から歩いて来るのが見える。隣の家のおばあさんは、うちの庭に入ってきて、縁側にたどり着いて腰掛けると、手に持っていた風呂敷の中から杉の木で出来たワッパを取り出して、祖母に手渡した。その中身は畑で採れた牛蒡と人参を使った金平だった。祖母は縁側から腰を上げると、畑のあぜ道で摘んできたヨモギとスギナとドクダミを、隣のおばあさんに渡した。二人はそれらの薬草を手に持ったまま「ヨモギを煮出して足湯をしたらむくみが取れた」という話や「スギナを鉄鍋で炒ってふりかけを作ったら美味しかった」という話や「ドクダミは干す時間によって苦味と甘味のバランスが変わる」という話を交換していた。
祖母は、僕がハラを下すと梅干しの黒焼きを飲ませてくれたり、風邪を引くとびわの葉を使ってお灸をしてくれたり、やけどをしたらびわの実の焼酎漬けを塗って、治してくれる。そんな祖母を、僕は魔女のようなものだと思っていた。ー以上『未来につなげるしおの道』著:冨田貴史 (※一部編集しています)
暮らしの中の台所
この話は、僕の幼少時代の実体験を元にしていますが、40年ほど前の山間部では普通に存在してた風景なのではないかと思います。そしてもちろん今になっても、「あるところにはある」風景だと僕は思っています。ではなぜ「あるところにはありますよ」と念押しするかと言えば、主に都会に暮らす人達の中には「もうないね、そんな風景は」と思っている人もいるのでは、と思うからです。
ではさらになぜ、そんな念押しをするのでしょう。それは、主に都会において絶滅危惧種となってしまった「こんな風景」を取り戻したいと願うからです。僕がここで言う「こんな風景」とは、どんなものでしょうか。
森のある風景。竈門のある風景。土間の台所。これらをすぐに取り戻すのは難しいでしょう。そもそも、多くの人たちが山を降りて、森林を伐採して都市を作って暮らすようになったのは室町時代くらいからだといいます。そして現代になって、都会で竈門を使う暮らしをするには、役所への申請が必要だったり、近隣に住む人達の合意が必要だったり(経験アリ)、さらに薪を都会で定期的に確保する手間もあります。
かなりハードルが高いですね。土間を作るのも、一軒家でないと難しいですし、土間のある家を建ててくれる住宅メーカーや建築事務所も非常に少ないのが現状です。
そのような現場を理解した上で、僕が取り戻したいと願うのは、「祖母は魔女」というような感覚が特殊で怪しいものではない、と思えるような社会です。病気をしてもすぐに病院に頼るのではなく、虫に刺されたらドクダミのチンキを塗ったり、熱が出たら梅干しの黒焼きを処方したり、風邪を引いたら食事の量を減らしたり、といったことを出来る範囲でやっていけるような暮らしです。何でもかんでも買って済ませるのではなく、自分たちの心身の健康を支えるメディスンを、出来る範囲で作って分け合えるような人間関係です。
都市の財産は、人の数と情報量だと言われています。一人で出来ることは少なくても、助け合うことで出来ることは足し算ではなく掛け算式に増えていく。その掛け算が起こりやすい、非常に高い可能性を秘めた場所が都会だと思います。
ということで、今回のお話の舞台は、ずばり、台所です。
最近あまり使われなくなった「厨(くりや)」という言葉もあります。英語でいうとキッチン。台所、厨、キッチン、それぞれ語源が違うので、少し調べてみましょう。
- 台所
- もともと、「台所」の「台」は、「台盤」のことを指しています。「台盤」とは、食物を持った盤を載せる脚付きの台のことで、宮中や貴族の家で使われるようになったことから、「御台」(みだい)ともいわれるようになりました。調理設備があり、「台盤」「御台」が置いてある所だから、「台盤所」(たいばんじょ)、「御台所」(みだいどころ)と呼ばれるようになりました。
後に宮中ではさらにこれが転じて、清涼殿内の女房詰所のことを台盤所と呼ぶようにもなったそうです。「台盤所」、「御台所」、それらが短くなって、「台所」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代頃から使われる例が目立ち始め、その頃から武家でも農家でもかまどのある部屋のことを「台所」と呼ぶようになったそうです。
ブログ「ちょっぴり自慢できるコトバの語源」より
- 厨(くりや)
- 家屋のおおいに相当する屋根の象形と「漬け物を入れる食器を手にした」象形から 「漬け物など料理をする台所」を意味する「厨」という漢字が成り立ちました。
※ネット上にある「厨」の象形文字はすべて著作権がありそうだったので、家族に書いてもらいました。
(上が栄里、下が照晃)
上にあるのは屋根、左は漬け物の入った器、右は手の象形。
オンライン「漢字/漢和/語源辞典」より
- キッチン
- Kitchenの語源は、ラテン語のco-quina(火を使うところ)、古来語ではcycene(クチーナ)で、これらが転じてキッチンとなったといわれています。
日本語でキッチンは、「台所」。語源は平安時代の台盤所からきています。
台盤所とは、貴族たちが食生活を行うための部屋の総称で、配膳のための盤(現在の皿)を乗せる台が置いてあったところからこの名がつきました。調理するための場所を「台所」と一般的に呼ぶようになったのは中世になってからです。
江戸時代にはいると、食材や食器などの洗浄は井戸端や川辺で行い、家に持ち帰り竹の簀の子(すのこ)などによる木製の流しを使って台所仕事が行われはじめました。
キッチンの歴史(キッチン・バス工業会ホームページ)より
台所は、平らな台がある所。厨は、漬物を入れた器のある屋根の下の場所。キッチンは、火を使って調理をする所。なんですね。
ちなみに平らな台の存在は、今となっては当たり前のように思いがちですが、結構すごいことだと思います。自然界にまっ平らなものなんて、ないのではないでしょうか。(水面くらいでしょうか。それも波打っていますよね。)
人為的に水平をとって加工しないと、平らな平らな台は存在しないのではないでしょうか。僕は海岸沿いで塩炊きをするときには、近くにある石を組んで竈門を作ります。その際に、一番苦心するのは、バケツや鍋を置くために「水平をとる」ことです。水平が取れていないと、鍋やバケツの中身はこぼれてしまいます。文明は火を熾すところから始まったと言われていますが、その次のステップは水平を取ることだったんじゃないかな、なんて事を妄想しながら竈門を組んだりしています。
お水やお湯がこぼれないようにする。お椀や水差しや鍋が倒れないようにする。これは本当に「あって当たり前じゃない技術」だとしみじみ思います。台所に立つたびに「水平な台をもたらしてくれてありがとう」と感謝しよう、と今、あらためて思いました。
「ながらする」手しごと
今回の記事を作るにあたってのミーティングの中でアラタさんは「キッチンは、アーシングのためのモジュール、アーシングのためのスペースみたいなイメージがある。そこに立つと、ピって5分くらいでアーシングできたりするっていう感じ。地球の恵みを実感する研究所みたいな」と言っています。
収穫したり、分けてもらったり、買ったりして手元にやってきた「地球の恵み」としての穀類や野菜や発酵食品や調味料が集まってくるスペース。そこで手を動かすことで、地球の営みの循環の中にログインできる、暮らしの中のアーシング・モジュール。そして、自分のモードや感性、テンポ感を切り替えるスイッチとも言えそうですね。
ちなみに、カムワッカの3人とは、このテーマで何度かおしゃべりのようなミーティングをしましたが、毎回とても盛り上がりました。ということで、今回は「タメになる情報を並べる」というよりは、そんなおしゃべりの一部をそのまま残すような体裁で、展開してみたいと思っています。
昨日別のところでも話にあがったんだけど、キッチンでできる取り組みっていっぱいあるよね。オオシマオーシャンソルトさんとの取り組みの中で、「キッチンは薬箱」っていうシリーズのお手当講座があるのだけれど、「キッチンは工房」みたいに捉えることもできるなって。
例えば染め物なんだけど、玉ねぎ剥いた後の玉ねぎの皮を取っといて煮出して染めるとか、 がっつり染めるのとは違う身近で簡単な感じのこと。それから、廃油で石鹸をつくるとか。ちゃんと準備するというよりは、なんか簡単にできるのもいいよね。結構私は、日々の中でちょっと家事をしながらできる手しごとみたいなこと、やってきたかなと思っていて。
巨峰をもらった時に皮が沢山出たらそれで染めちゃおうとか。普段捨てちゃうものを活用する感覚で、ご飯作りながら空いているお鍋で、むいた皮やスパイスをコトコト煮て色を抽出して、ちょっとシミになっていたTシャツをを染めちゃおうみたいな感じ。そういうスキマ時間を使うとやりやすいことって色々あるのかなっていうことを思い出した。
手しごとって、5分で出来ることもあるし、5年がかりでできることもある。前も話してたけど、お家でちょっとやってみようかなって思う感覚のことと、どこかにみんなで集まってやることでまた生まれてくる世界っていうのと、両方を大切にできる 内容なら手しごとも入りやすいかなって。
「ちょっとやってみようかな」と気軽に思えるような手しごとと、「みんなで集まったら出来るよね」と思える手しごとってありますよね。
これは最近自覚し始めたことなんですが、僕は自分の中に「失いかけている文化」に対する嘆きが強すぎるんですよね。特に原発が立っている土地を訪ね歩く中で、現代的な生活が便利になりすぎてしまったことの影響の一つが、原発などに依存する社会になっているという実感が強くなりすぎて、自分にも他人にも「こうすべき」という気持ちになってしまいそうになることがあるんですよね。
そういうことに対して自覚がないと、「手しごとの場にお誘いする」といった時に、無意識にハードルを上げてしまって、「手軽にできること」を紹介していくようなスタンスを見失っちゃったりするということに、本当に最近気づきました。
私は自分の幼い頃に、母とかおばあちゃんが手仕事をしている姿って見てないんだよね。おばあちゃん家の裏には同じような年頃のおばあちゃんがいて、その人は浴衣を縫ってくれたり、うどんを打って天ぷらあげてくれたり、ザクロ取って取らせてくれたり、いろんなものを手作りして分けてくれたんたんだけど、私の祖母や母はそういうのやってなくて。(もっと後では彫金したり、刺繍したりしてたけど)
私の成績が悪すぎたから、いつも「勉強だけしていなさい」って言われて育ってきたし、確か興味持たないように遠ざけてたらしい。
手しごとというのを意識したのは、娘が生まれてシュタイナーの幼稚園に入った時。年少さんの参観日はお母さんクラスの後ろで子どもをみるスタイルではなく、数名ずつが教室のテーブルで子どもたちの様子を感じながら木の枝を磨くっていう形だったの。
その枝は何かというとキャンドルを消す道具の一部。くるみと接着する前に滑らかになるようにやすりをかける工程。子どもたちの様子をみつつ手を動かしてるとか、手の空いたお母さんたちが集まって足りないパーツを磨くとかっていうのが、私の手しごとの始まり。だから、「ながらする」のが手しごとの感覚なのかなーって今思った。
僕が草木染めをしているのを初めて見たのは、仙台ゆんたという、友人がやっているシュタイナー教育を元にした施設でのことだったんだけど、その友人が「子どもたちは、大人たちが手しごとをしている空間に居ると気持ちが落ち着きやすい」という話をしてくれたのが印象的でしたね。
もちろん、大人全員が手しごとを出来ているわけではなくて、交代で子どもたちの世話をしたり、料理をしたりしながら手を動かしているんだけど、その協力しあって何かをゆったり作っているというムードが、確かに自分にとっても心地よさがあるなあと思っていました。
今染色講座に出ているんだけれど今週の講座で、「手しごとするのに2種類同時並行で進めるのもいい」という話題になったんだ。ちょうど紬機で羊毛の糸紬をしているお友達が先生に「ちょっと 羊毛だけ紡いでるの辛いです。私、今日はアイヌ刺繍しながら糸紡ぎします」って。
それを聞いた先生が、「それはね、意外といいんですよね」「私も同時に2つの手しごと並行してやりますよ。染色しながら糸紡いだり。なんかずっと1工程だけやってるって、意外となんかあんま良くない感じがして、、だから自分も色々ミックスしてやってます」って言ってた。
確かに私、織り機でコースターとか織ってる時、配色で迷ったら煮物をしつつ考えたり、煮物をしつつ向かい側のテーブルで織り物をしてるっていう時、なぜかすごいはかどるし乗ってくる。先生と友達と3人の共通見解として「同時並行の手しごとは良さそう」っていうのが出てきて面白かった。
味噌作りする日、僕は朝から大豆を5時間くらい茹でているんですが、豆を茹でながらベンガラ染めをしたり、玄米を炒ったりみそ汁を仕込んだりしています。執筆をしたり、領収書を整理したりもしてるかな。
豆を茹で始めてから沸騰するまでは、火の加減を見たり、吹きこぼれないようにしたり、水の量は大丈夫かなと気にしたりとか、大豆を茹でている鍋に、かなり意識を向けています。しかし、いざ沸騰して、火加減も、水の量も、大豆の踊り加減も、いい感じだなと思えてからは、そんなにずっと鍋のそばに立っている必要もなくなってくるんです。
そこからは、鍋の様子をまあまあ見つつも、ほぼ鍋を触わることはなくなります。意識はずっと向けているし、時折チェックはしてるけど、他にもなにか出来るって感じになってきます。そんな時に原稿を書くと、とてもコンセントレーションが高くて、筆がよく進んだりします。自分が書いた原稿の校正作業をしていても、細かい見落としを発見しやすかったりもします。
僕の場合、10人くらい人を集めて味噌作りをする、いわば「味噌奉行」的な役割をすることが多いので、そういう時は大豆の浸水から道具の準備、大豆の茹で上げから道具の片付けまでの裏方作業をずっとやっているので、「スキマ時間」も意外と沢山生まれます。
こういう人は「仲間10人の中に1人いれば、味噌は作れる」くらいに思っていますし、たまたま味噌に関しては僕はそういうポジションが気に入っているということなので、以下は特殊なエピソードではありますが、豆茹でとマッチングのいい手しごとを並べてみます。
麻炭と藍錠を混ぜて顔料を作って、地下足袋の表面に刷毛で塗る、とか。鍋に意識を向けている集中状態を利用して、本のカバーを折ったり。
製本したり、梱包したり。
「こんな時でないとやれないな」と思い立って、地下足袋を作る時に生まれるヘンプ布の端切れにアイロンをかけて、裁断して、本の栞をつくる、といった作業が出来たりもします。(たまにです)
家で味噌を作るときは、火の側でベンガラ染めをしたりもします。ペットボトルで小型のプランターを作ったり、穴のあいたズボンを繕うとかも、いい感じですね。
お野菜切ったり炒めたりみたいな手を動かすことが多いお料理の途中だと織物はできないんだけど、じっくりコトコト火を通す煮物だったから出来たんだと思う。コトコトの時には火のそばをあまり離れられないんだけど時間はある。お料理に限らずそういう状況は織物にぴったりだなっておもう。
今は便利でなんでも簡単に手に入るけど、いろりを囲んで、語り合いながら、手作業するみたいな、そんな時間がすごく失われてるんじゃないか。そういう場を取り戻す機会としても手仕事って面白いんじゃないかな。
私、世間話とか日常会話とかが非常に苦手で、全然できなくて。でも、手仕事しながらだったら間が持つ感じがある。お裁縫とか、手しごと系の共通の趣味のことをしながらなら、ああだよねこうだよねっていう、巡る系の話でもその時間を楽しめるというか。もしかしたら、井戸や囲炉裏を囲んで洗濯やお料理をしつつおしゃべりっていうのは、そういう理由もあるのかな。
囲炉裏を囲んで手しごとって言葉を聞いて、僕は自分の体験を思い出しました。確か2014年くらいに、福岡県北部の糸島にある古民家の囲炉裏を囲んで、鉄火味噌づくりをしたことがあります。
地元の人達を中心に10人くらいの人たちが集まって、それぞれが普段使っているまな板と包丁を持ち寄って、2時間くらいかけて牛蒡と蓮根と人参と生姜を砂粒くらいの細かさに刻んでから、囲炉裏に炭を起こして、大きな鉄鍋で2時間位かけて炒りあげました。
その間に手を動かしながら色んな話が出来ました。僕も含めて初対面同士の人たちがとても親しい感じになって、本当に脚色なしに「初めて会った気がしないね」なんて言いながら解散したのを覚えています。
これは手しごとの持つ魔力じゃないかと思うのです。命に貢献するものを、一緒に手を動かして作って、分かち合う。その経験を共にすることで、たった半日の付き合いとは思えないような「つながりの質」がそこに生まれる。
「手しごとってすごいな」と思った瞬間の一つです。
話の展開的には全く飛ぶんですけれども、時代の流れとか考え出すと、コンビニが生まれてきたとかね、いろんな冷凍食品ができてっていう、そういう話もしたくなるんだけど、ちょっと自分のことで話をしてみると、基本僕、食事に関してノドカさんにほとんどフルお任せでいるので、自分がキッチンに立つことは滅多にないんですね、実際の生活の中で。
ただ、洗い物が好きで、いつも洗い物する。で、洗い物しなくていいよって言われるんだけど、洗い物好きだからしていて、それからコーヒーを淹れる。きっとコーヒーを淹れる時間が、多分僕が1番キッチンに立ってる時間だと思います。
洗い物が好きだからっていうよりも、コーヒーを淹れる前にキッチンを綺麗にするっていうのは、1つの、なんか、その前の準備みたいな感じがあって。自分にとっては、その時間がすごく大事な時間になってる。洗い物して綺麗にしながらお湯を沸かして、最終的にコーヒーを落とし切るまでにおよそ20分ぐらいはかかるんだけど。
この1つのルーティーン、習慣のようなキッチンでの時間になってて、その時間が自分にとってすごく貴重な時間というか。
僕も違う話だけどひとつ。会社員を辞めてからは週の半分くらいは夕食を作っているのだけど、自分で料理するようになってから、材料も買うし、そうすると材料をどこで買うか考えたり、醤油どうしようかとか、味噌どうしようかとか・・・。コンビニとかで出来合いを買ってくると、消費するだけで意識が切れちゃうけど、食事を作るっていう行為をすることで、もう少し前の段階に繋がっていく感じがする。
で、想像を広げていくと、自然農をやっている人とか、魚を獲っている人と繋がっていくというか、広がっていく。要するに、買うという行為だと切れちゃうものが、自分でやることで外に繋がっていくキッカケがあるのかな。他に習慣的にやる手仕事のようなものがないから、あまり分からないけど、料理ということだけ考えても、そういうところはあると思う。今ちょっとゴミの問題を考えるプロジェクトもやってることもあって、そんなことを考えた。
さっきのブドウの皮、割と近いものがあったのかもしれないって思う。 ブドウを食べ終わってみたら手がすごい染まってて、もしやこれは染まる?じゃあ捨てずに染めてみようとか。
私の染色の先生に訊いたところ、ブドウとかベリー系の色は強烈なんだけど紫外線に弱いから、染めてもどんどん色は落ちちゃうらしい。ただ長持ちはしないんだけど色はつくとか。
私が葡萄の皮で思わず染めたくなったのは、その葡萄がものすごく美味しかったからというのもある。それから、この種を蒔いたらもう1回食べられるかもっていう妄想が働いて、ぶどうの種を台所から庭に撒くみたいな。この美味しかった余韻をどこまで引っ張れるかなーって。台所から庭に想いをはせるというか。未来の収穫を想像するというか。
江戸時代までは「ごみ」って言葉はなかったという話を何度も聞いたことがあります。水道の蛇口から出てきた水は綺麗と感じ、排水溝に行った水は汚いものとして認識するようなところもありますよね。それと同じで「ぶどうの皮はゴミ」っていう風に認知してしまったら、もう染めるみたいな発想も起きてこないと思います。
そしてここで連想するのは、コンポストです。コンポストとは、生ごみや落ち葉、泥などに含まれる有機物を微生物の働きで発酵・分解させて堆肥を作ること。食品残渣を集めて、土を作る。その土で野菜を育てる。そうやって、自分たちの暮らしが生態系の中にログインしている実感をつかめる装置の一つがコンポストなんじゃないかな、と思ったりします。
あと、台所には土間も含まれてたって話もありましたが、そうなると、台所で出た葡萄の種を、引き戸をガラッと開けて庭に蒔くみたいことにもなっていきますよね。家と庭の繋ぎ目が台所、でもあったということですね。この連載の中でも、何号か後に(おそらく春以降に)「庭」をテーマにした記事も書いていきたいと思いますので、お楽しみに。そして今回の記事の最後に、台所と庭をつなぐ回路としての「コンポスト」を、冨田家ではどのように実践しているか、ということを、具体的に紹介してみたいと思います。
台所と庭をつなぐ簡単コンポスト〜冨田家の場合〜
まず、台所で出る食品残渣(主に野菜くず)を、自宅ではエンバランス加工された10リットルほどの円筒状の容器に貯めておきます。野菜くずなどは、すぐに土に埋めるのではなく、このような形で分解を進めた状態で土に入れたほうが、土に還りやすいと言われています。そして、適当なタイミングで、この容器ごと、庭に持っていきます。
ここからは、4歳の頃の息子の写真と合わせてプロセスを紹介していきます。
なるべく深めで、大きめな穴を掘る。埋めたものが地表に出てこないよう、十分な深さにすることが大事。
掘った穴の中に、野菜くずを少しずつ入れる。
そこに、掘った土を少しずつ混ぜ込んでいく。野菜くずが入っていた容器に水を入れて、穴の中に注いでさらに混ぜる。
水気のある泥を作るようなイメージで。
野菜くずに土を混ぜ込んだ上に、さらに掘った土を被せていく。
土を被せたら上から足で踏む。
踏んで地表がへこんだら、また土を足す。
周りの土と均質な硬さに近づける。
足で踏んで、地表が平らになってきたら、刈って乾燥させてある草を敷いていく。
地表の乾燥対策と、菌の住処づくりのために。
「ここに野菜くずを埋めたよ」という目印のために、竹や木の棒を刺しておく。
棒を刺しておくだけでも、「どの棒が最近刺したもので、どの棒が古いものか」はだいたいわかる。
「もう穴を掘れるスペースがない」となったら、一番古い棒のところを掘る。そうすると、そこはすでに土になっているので、また野菜くずを埋めても大丈夫。
そして、ベランダなどに設置できるコンポストも色々あります。
僕がずっと使っているのは「キエーロ」という装置です。僕が使い始めた10年前は「バクテリア・デ・キエーロ」と呼ばれていましたが、その後「キエーロ」という名前になりました。。
僕は、鎌倉、葉山、逗子の辺りで「トランジション・タウン」などの取り組みに関わっている人たちから、なんども熱く勧めてもらって、すぐに取り入れた記憶があります。今でも僕の運営している手しごと作業所「冨貴工房」では「キエーロ」を愛用しています。
キエーロってなに?
「キエーロ」は土の中のバクテリアのための家です。特別な菌は必要ありません。
黒土1グラムの中に数億個のバクテリアがいて生ごみを分解し、ほとんど増えることはありません。
続けて使っていくと、やがて栄養豊かな土になり、堆肥としていつでも使うことができます。(使ったら土を補充します)
生ごみが無くなるとごみ収集日を気にしなくてもすみます。ぜひ、バクテリアに餌をあたえるつもりで、楽しみながら生ごみを処理してください。分解の過程をキエーロのなかで実感できます。
さあ、地球のため、自分自身のため、キエーロで生ごみを消しましょう!
以上、キエーロ オフィシャルサイトより
今月のおすすめBOOK
最後に、今回の記事を書きながら思い出していた本を2つ、紹介します。前号までにたくさんの参考文献を紹介してきたので、今回は少なめにします。
参考文献
著者:東城百合子 出版:あなたと健康社
食養生、お手当て。梅醤番茶、大根湯、こんにゃく湿布、足湯。家で出来るたくさんの自然療法の数々の、やり方と効能。内臓の働きについてなどの、とてもわかりやすい解説。
僕は「一家に一冊」と思っています。(家と工房と実家に一冊ずつ置いてます)昭和53年の初版発行以来、100回も増刷を続けている超ベストセラー。
<東城百合子>
大正14年岩手県に生れる。 昭和17年、当時日本の栄養学の草分けだった佐伯矩博士に師事、栄養士となる。 昭和24年重症の肺結核となり、玄米自然食によって白らの病気を克服する。以来自然食を主とした健康運動に力をそそぎ終戦後の混乱のさめやらぬ沖縄にわたり、沖縄全島に健康改革の灯をともし、沖縄の健康運動に力をそそぐ。 世界的な大豆博士といわれ、当時国際栄養研究所所長、国連保健機構理事、W・H・ミラー博士に師事。いよいよ健康改革運動に情熱をもつ。 昭和39年沖縄より帰京、東京に居をすえて、出版活動、自然食料理教室、栄養教室、講演活動と自分を育てるために啓蒙運動に力をそそぐ。 昭和48年5月、月刊誌「あなたと健康」を出版し、以来出版活動を中心に運動を進める。2020年永眠。
<まえがきより>
二十数年前一結核で死にかけた私は玄米菜食の自然の食物と、身近にある自然の手当法を真剣に実行して救われました。以来自然がもたらす生命力の偉大さを痛感させられ、少しでも皆様のお役にたてたらと思っています。 台所にある野菜や裏庭に生えている野草など、手近にあってどなたでもできる家庭療法は忘れられていますけれど、健康づくりのためにはとても大切な事だと思うのです。公害や薬害、食品添加物等で悩まされる時、真の健康をとりもどすために、自然の生命力に富んだ食品や薬草、野草、自然療法をとり入れて、保健のために病気治療のために、副作用なく生命カを増す方法をなさってみてはいかがでしようか。 私が、病の時助けられたものや、長い間に実際やってみてよかったと思うものを集録してこの本にまとめあげました。薬のいらない健康法をどうか皆さんでなさってみて下さい。自然はきっとあなたを元気づけ、勇気と希望をもってやる時、すぱらしい事がはじまる事を健康法を通 して教えきとしてくれます。何とかそうしたお役に立てたらと願って書きあげました。お読み下さる皆様に幸あれと念じつつ。
次に紹介したいのは、「海獣の子供」などの作品で有名な漫画家、五十嵐大介さんの実体験を元にした全2巻コミック。
参考文献
「リトル・フォレスト」(全2巻)
著者:五十嵐大介 出版:KCワイドコミック / 講談社
2002年12月から2005年7月にかけて講談社の『月刊アフタヌーン』にて連載された。
作者自身が岩手県衣川村(現:奥州市)で生活した際の実体験をもとに、大自然に囲まれた小さな集落で暮らす一人の女性の姿が描かれている。本作を原作とした映画も韓国などで複数製作されている。
<内容>
スローフードって楽じゃない。手間ひまかけて、汗かいて。だけど、そうやって辿り着いたひとくちには、本当の美味しさが満ちているのです。都会から生まれ故郷の小森に戻り、農業を営むいち子。四季折々の収穫に舌鼓を打ちながら、彼女は自分の生き方を模索する――。当世きっての漫画家が描く、本物のネイチャー・ライフ。
僕はこの本を、環境保全活動などで全国を回っている坂田昌子さんに紹介してもらいました。
以下、坂田さんに寄稿していただいた『ハナヤ通信2023年秋号』掲載のエッセイ「無為自然の庭」の一部を抜粋します。
この作品には、まるでコミュニティの一員であるかのように、人間以外のさまざまな草木、動物たちが登場する。沢や森に囲まれた庭に訪れるのは、近所の人や友人たちばかりではない。夜には訪問者があとを絶たない。蛾のオナガミズアアオ、カブトムシなどの虫たちが、「パタタタタン」「ガチン、ブウーン」「カチン」「ピーン」と窓や玄関で様々な音をたてる。水量のあまり多くない小さな沢には、イワナが上り、サワガニが横切る。鳥たちが鳴き騒ぎ、水浴びをする。タヌキたちなどのけものたちも庭先を通ってゆく。
ある夜、「バキバキバキ」とすごい音に「なんだ、なんだ、なんだ」と翌朝見てみると。庭のスモモをクマが食べに来て落ちたらしい。近所のおばさんたちと「ケガしなかったかしら」と心配する。それだけの話なのに、闇の豊かさに引き込まれる。獣や虫たちを「訪問者」と語る五十嵐大介さんの感性がとても好きだ。
近代以降、森や川、沢といった場所を人は囲い込み、区切り、壁を作り、ドアに鍵をかけ、異物が入り込まないよう、自分たちだけの場所となるよう、生き物を含めた他者を排除することを目的として家や庭を管理してきた。そうやって約200年、コミュニティは消えていった。そろそろ人は、「自分だけ」という状態に、寂しくなってきたのでは?
山で暮らすわたしのうちにも、いろんなモノたちがやってくる。深夜、寝ていたイヌたちが顔をフッとあげると庭に訪問者のお出まし。ガサゴソ大きめな音をたてているのはイノシシ一家たち。藪でするカサカサ音はシカの姉妹。ギャーンと母を呼ぶ子ギツネ。テンに襲われ慌てる鳥たちの騒ぎ。コンポストの蓋が落ちる音がしたらタヌキたちの仕業。アナグマがネコの餌をねらい、こっそり家に忍び込む。庭はわたしのものだけではない。人だけのものではない。生き物たちはこっそり隠れながら来たいだろうな…と思うから藪を刈り取ったりできなかったりする。
ー『ハナヤ通信2023年秋号』掲載のエッセイ「無為自然の庭」より抜粋
台所と庭と森をつなぐイマジネーションにあふれる素敵な作品です。ぜひ読んでみてください。
今回もちゃぶ台の上に色々のせて話しましたね。次回からは、「台所でできる手しごと」を一つずつ、作り方や効能なども交えながら、じっくり取り上げていきたいと思います。味噌、梅干し、梅醤番茶、胡麻塩、などなど。これからもお楽しみに!
冨田貴史(とみたたかふみ) プロフィール
1976年千葉生まれ。大阪中津にて味噌作りや草木染めを中心とした手仕事の作業所(冨貴工房)を営む。
ソニーミュージック~専門学校講師を経て、全国各地で和暦、食養生、手仕事などをテーマにしたワークショップを開催。著書『春夏秋冬 土用で暮らす』(2016年/主婦と生活社・共著)『いのちとみそ』(2018年 / 冨貴書房)『ウランとみそ汁』(2019年/同)、「未来につなげるしおの道」(2023年/同)など。