HOME > 大滝正明連載コラム「Art and Design のある暮らし」 > 第3回 「ひとなみであれば」 |
「ハンディの身 のり越えなほも ひとなみで あれば良しかと おもふわれかも」 前回に述べましたように、生まれつき耳が不自由な身です。身体も虚弱体質ですので、こどもの頃から、なんとか人並みになりたいと今でも思い続けています。「そのためにはコツコツと積み重ねて行くことが大切」と子どもごころにも思っていたのでしょうか、そういう気持ちが今でもとても強く残っていますね。 われわれの世代では小学一年から文字を学びましたが、何も言葉が解らない故に本をよむこともできず、文字を書くこともままならず・・・。 本を多く読むことで。言葉を覚えてきました。 耳は不完全ながらも、聞こえてくる音はイントネーションやリズムで理解できるようになりました。 聴こえてくるものは声ではなく音ですが、長くゆっくりと聴きますと大雑把に理解できることがあります。さらに目や心の表情や動作などで総合的に理解は高まってきます。 このように、会話の力は一歩一歩と前進し、人並みにできるようになりました。俳句和歌も毎日のように詠むようになりました。人並みであれば十分に幸せと感じています。歌人に憧れますが五感そろっている方には敵いません。例外もあるようですが、感覚がヒトツでも欠けると感性を総合的に高めることは、難儀と身を以て体験しています。 かけているからこそ不足分だけ優れてくるでしょうと言われますが、特化することはあっても、やはり総合的には限りがあるようです。 幸いなことに絵を描くことが大好きで、プロのデザイナーになれました。アーティストにもなれたようです。普通の人から見ればすごいとも言われますが、皆それぞれに職業を持っているようにデザイナーもアーティストも皆さんと同じプロの職業です。その意味で私は人並みになれたのでしょう。もしも叶うことであれば、人並み以上のクリエーター、つまりアート&デザインの創造者に憧れますね。 大滝正明記 |
【カムワッカ より】 「人並みに~」というのは、私もよく両親から求められてきたものでした。 私の場合は身体的にはすべてがそろって生まれてきたものの、なぜか人並みは難しく、それが故に両親も私が人並み(つまり大滝さんおっしゃるところの総合的平均的)もしくは、それ以上であることを切に願っていたようです。 私としても「人並みに~」は長年の課題。そんなおり、学生時代の友人のお父さんでもある大滝さんとの出会いがあり。その出会いはとても衝撃的なものでした。今ではこうして一緒に活動させていただき何とも幸せです。 今回のコラムを頂いて、大滝さんが「人並み」であることを切に望みつつも、身体的な特性が故の特化されたということを改めて知りましたが、私から見るとその特化の仕方はとても素敵です。多くの大人が年を重ねるにつれどこかに置き忘れてしまっているようななにか大切なもの(レーチェルカーソンの書物で描かれている「sense of wonder」のようなもの)を、そのまま鮮やかに保ち続け、作品を通じて表現されている、そんな気がするのです。 「一期一会で出会いなおす」 これは以前に大滝さんがおっしゃっていた言葉。 常に耳から情報が入り、受動的にも能動的にも言葉を受け取ることも出来る私たちに対し、自分で能動的に言葉を習得してきた大滝さんは、「ふいに忘れてしまう」ことが多く、そういう時にはことばや現象と毎回あらたに出会いなおしているそうです。 固着した見方でとどまず、毎回出会い直し見立て想像し、そして表現や創造へと展開する。 そういった意味で、私やカムワッカスタッフから見ると大滝さんは人並みを超えた、すばらしい創造者だと思っていますし、他の人からは学ぶことが出来ないたくさんのかけがえのない学びをたくさん頂いています。 カムワッカ 宇井 のどか |