自分のあるがままを話すことは”主体性”の始まり

”あるがまま”でいられるということは大事やね。自己肯定感って、ある意味、あるがままでいられるということやもんね。

”あるがまま”であるというのは、とっても微妙な言葉で、我々は日頃、いろんな捉え方をして、この言葉を使ってるよね。「ある」というのは、たとえば、イノチの働きとして「ある」ものもあるよね。その人がその人になろうとして、とる行動やったり、そこで感じてることを表現したりというのは、あるがままのものやね。それをちゃんとある・ままに、そのまま受けとめてくれたり共感してくれたり、そのときに、【BE WITH】でそばにいてくれたりする人がいること。。。それはたぶんその人、その子があるがままでいられすごく大切なことやと思うのよね。

「甘える」ということはものすごく主体的な行動

誰もがすごい分離不安を抱えているわけやから、ちっちゃな子はそれを甘えるという行為をもって不安を安心に変えようとする。「甘える」ということはものすごく主体的な行動やと思うのよね。特にちっちゃな子どもたち、赤ちゃんとか、幼児期の子たちが、それから小学校3、4年生くらいの低学年の子どもたちが、ほんとに主体的にできることの一つとして、代表的なのが、「甘える」ということ。

「甘える」というのは、甘えたいときに甘えるということ。なんかしら不安になったり、なんかしら分離感が、ふっと、子どもの中によぎるというか、感覚として持つ。それが環境の変化やったりとか、今日何かがあったりして、何となく子どもに分離感が戻ってくる、そのときに、べたべたしたかったり、おかあさんといっしょにいてほしかったり、っていうような、甘えの行動をとるんやと思うのね。

「甘やかす」は、おとなの都合

そのときに、つまり主体的に甘えようとしたときに、ちゃんと甘えられる。「甘やかす」じゃなくて、子どもが甘えたいときに、甘えられる。「甘やかす」は、親の都合やし、おとなの都合やよね。だけど、甘えたいときに、甘えるというのは、子どもの都合やし、すごく主体的なことで、あるがままのこと。だって、不安があるんやもん。そのことがちゃんと受け入れられ、共感されたり、何よりも一緒にいてくれるということ。心ごと一緒にいてくれてること。甘えてる自分はだめと言われるのではなくて、甘えてるまんまで、そのことに関心持っていてくれてること。

子どもが甘えてきたときに、「どうしたん?」「なんかあったん?」って聞くと、「ううん、別に」って子どもは言うかもしれんけど、「ふーん、変な子やな」と言いながらもちゃんと一緒にいる。またべたべたする。「どうしたん? なんかあったんやろ?」って言いながら、そのときのその感じがすごく受容的で一緒にいてくれる感じがする。そういう意味では、言葉の内容というよりは、言葉のもっているエネルギーが、ほんとに一緒にいてくれる感じがする。こういうものの一つ一つが、自己肯定感を育んだり、その子に安心を与える。

このあるがままでいる自分、いまこういう状態でいる自分をちゃんと受け止めてくれている。そのことが、自己肯定感、つまり、存在していいんだ、という安心感を生んでいく。存在そのものでオッケーなんだということ、あなたの存在そのものが、大事なのよ、お母さんは好きなのよ、あなたがいてくれて嬉しいのよって。そのことが、ちゃんと相手に伝わっていること。子どもに伝わっていること。それが肯定されているということやし、自己肯定感につながる一番のポイントやと思うのよね。存在していいんだという安心感やね。こういう自分だったらオッケーではなくて、あるがままでオッケー、この感覚やと思うのよね

甘えたいときに、ちゃんと甘えた子だけが、自立できる

甘えて、ちゃんと愛情がみたされて、「私は存在していいんだ」という安心感をもって、自分の心の中に、ある種のプラス貯金をする。貯金箱の中が満腹にならないと、こどもは安心して、親から離れていかないな。だからちゃんと甘えたいときに甘えられた子が、ほんとの意味で自立していく。

自立によく似た言葉は孤立だよね。なんでも全部自分でやってしまうみたいな。本当は苦しくて、もう無理なことなのに、そのことを言えない。助けてって言えへん。でも、本当に自立している人は、何かあったときは、助けてって言えるし、そして、誰かに対してヘルプの手を差し出すこともできる。それは自分の中にもともとの原形の体験があるからやよね。たぶんちゃんと甘えた歴史があるんやと思う。

ヘルプメッセージを出せるようになって初めて人は自立している

自分が初めてリザベーション、インディアン居留区に行ったときに、アンクル・ロイから言われたことがある。「ちゃんとヘルプメッセージを出せるようになって初めて人は自立しているんだ」と。助けを求めるということは、甘えるということ、ある意味ね。だって、無理なわけやから。無理な時には助けてもらわなあかんわけやから、これって甘えることやんねえ。

・・・なかなか、「助けて」って言いだせない、もしくは助けを求めることすら自覚できない場合もあると思うのですが、どうしたらいいでしょうか?・・・

だから、ヘルプメッセージを出せることがどれだけ大切なことかということを知ってる、おとなの中でも、いわゆる「エルダーシップ」が必要なんやと思う。「ティオシパイェ」(拡大家族)の中でも、ちょっとエルダー(年長者、長老)的な、そういう知恵を持っていたり、そういう風な人の育ちの事を、人が育まれていくプロセスの事を知ってる、まずおとなが、やっぱり育ってるということ。

「甘えていいんやで」ということを、同世代の人から言われるのではなくて、いろんな人生を経験してきた人から言われて、「ああ、そうなんか、それでもいいかな」「でもわたし、すごくへたくそやわ」と思ったときに、たぶん初めていろんな人に、話を聞いてもらったり、ちょっとずつやけど、「大丈夫なんやろか」「こんなこと言うたら、おかしい人と思われへんやろか」と、たぶん探り探りやと思うし、ちょっとずつ人のことを信頼しつつ、身をゆだねてみようかな、って思いながら、人に話をきいてもらったり、それから、何よりも、自分のために時間を割いてもらったりする。

それすら最初できひんよね、だって悪いしって。自分のために、時間を割いてもらうって、それも甘えることやね。時間を割いてくれるということと、自分の価値ってすごく関係あるんじゃない。自分のためにその時間をくれるんやから。だから、そこからまず始まるんと違うかな。まず、一緒にいてくれるということ。そして、なおかつ、そのときに、ちゃんと受け止めてもらったり、その人の話を聞かされるのではなくて、私の方の世界にちゃんと入ってきてくれて、そばに寄り添ってくれて、共感してもらいながら一緒にいられる。そういう存在が必要やし、そういう時間、体験が必要やと思うのよね、やっぱりね。

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松木 正 プロフィール

先住民の知恵と生き方から学ぶ環境教育、自分と自分をとりまく様々な生命との関係教育を軸に「マザーアース・エデュケーション」を主宰。

京都府伏見生まれ。大学在学中、自身がうつ病を克服していく過程でカウンセラーと出会い、教育の現場にカウンセリングの手法を用いることの可能性を探り始める。

YMCA職員などを経て環境教育を学ぶために渡米。全米各地で環境教育のインストラクターをする中でアメリカ先住民の自然観・宇宙観・生き方、またそれらをささえる儀式や神話に強く引かれ、サウスダコタ州シャイアン居留区に移り住みスー・インディアン(ラコタ族)の子どもたちの教育とコミュニティ活動をしながら伝統を学ぶ。

現在、神戸を拠点に全国各地にて、キャンプの企画や指導、企業研修、学校での人間関係トレーニング、また保護者に向けてのワークショップ、子育て講座、アメリカ先住民の知恵を前面に打ち出したキャンプの企画と指導、神話の語り、教育的意図をもった企画講座、個人カウンセリングなど、幅広く活動している。

著書に、ロングセラーとなった『自分を信じて生きる』(小学館) 『あるがままの自分をいきていく インディアンの教え』(大和書房)がある。

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