誰かとぶつかることで自分の存在を知る

反応、レスポンスが全然なかったら、自分の存在というか、存在感覚に乏しいことになるよね。いろんな講演会でも話しているように、だだっ広い部屋の中で、スタジアムみたいなものすごく大きなところで、自分がもし目隠しをした状態で、3時間4時間さまよっても、まったく何にも触れない、どうやっても触れない、手探りでいろんなものに触ろうとするんだけど、何にも触れなかったら、だんだん、自分のここに存在しているという感覚がなくなっていくよね。だけど、その3時間4時間さまよった後に、やっと壁に当たったり、たまたまそこに棒が立っていたり、パンと何かに触れた瞬間に、ポンとなんらかの反応が、返ってくる。

その瞬間に自分という存在が、ふわっとここにあったんやって。まさに自分がここに存在しているということに目覚めることが起こるよね。それがまさに、存在感覚やし、その存在しているという感覚と、それからちゃんと肯定されている、あるがままの自分でオッケーなんだよって、という感覚が両方備わっている感覚が、自己肯定感やね。

だからそういう意味で言うと、反応、レスポンスを返す、誰かしらという存在は絶対大事やね。一人で自分のことを自覚することが難しいからこそ、誰かとの関わり、誰かから反応が返ってくる、という相互性がとっても実は大事だよね。だから、子どもは、レスポンスが、つまりストロークという誰かからの働きかけが少ないと、悪いことしてでも、例えば掃除をしているお母さんの掃除機の上に乗って、「もうやめなさい」って言われても、反応がほしい。そうでないと自分が消えそうになるからね・・・。

・・・ついつい相手や子どものあるがままを受け入れ、そのまま返すのではなく、それは「わがままだ」、「甘えてるんじゃない」と返してしまいます・・・

「わがままや」というのは、自分の都合に合わへんから、「わがままや」っていうんじゃない?それって。なんでそのことを言っているのかという、その背景にあるところに寄り添ってないよね。裁いて、ジャッジしているということやんね。

例えばね、その子がわがまましたとするやん・・・。

でもね、その子が言ってることや、してることに対して、
「それはこれこれこういうことなの?」と訊いてみると
「そうじゃなくて、」「っていうか」って返ってきたりする。
そしたら、「そうやったんやね」ってなることがある。

だから、勝手に自分が相手のことをわがままにしてる時もあるんやと思う。

もしくは、ほんとうはうらやましくて・・・。

ほんとう自分がそんなことしたいくらいなんかもしれん・・・。

自分の中で、「甘える」という自分は周縁化(抑圧)されていて、そうしない、つまり「甘えない」ことがいいというアイデンティティで自分が成り立っているがゆえに、「甘える」という部分が、つまり自分が周縁化(抑圧)してきた部分が、影・シャドウとして、悪として映ってしまう。だから、イラっとしたり、そのことを受け入れられへんかったりする。

ほんとは、一番甘えたかったのかもしれん。けれども、それはいけないことだとジャッジされ、あるがままに甘えることが、その場、その時、都合がよくないと受け取って、それはダメなことにしたんやと思う。ダメなことだと決めたからやと思う。だからそのことは「悪だ」ということになって、受け入れられないんやと思う。それが割りとわがままと言われていることの一つかもしれん。

多くの甘え上手な子やったり、甘えている人にイラっとする親、女性、必ずしもではないがどちらかというと男性よりは女性、は結構いたりするよね。それは悪が相手に映るからやねん。ほんとはうやらましいくらいだと思う。なんらかの理由で、あるがままを表現できなかったんやと思う。本当はそのままの、わがのままで、オッケーやったはずなんやけど、それだと受け止めてもらわれへんから、条件付きなもので、それでもオッケーもらえるものを、ほしかったんやと思う。肯定されたいからね。そうでないと生きにくいもんね。

・・・どんな反応・レスポンスを返すことが望ましいでしょうか?・・・

いい反応を返さなあかん、と思うのよね、みんなね。そうするために、実は相手のあるがままをゆがめてしまう。その人が良かれと思ってやっていることが、意外と、相手がいま伝えたことをそのまま受けとめることにはならない。良かれと思って返してくれていることが、実はあんまり、その子、その人にとっては良からぬことかもしれん。


子どももおとなも、人がまず欲しいのは、自分のことがそのまま、受けとめられるということやね。そのままであるかどうかということは大事やから、そのまんま逆に返してほしいよね。つまり、「○○ちゃんは、こうなんだね」ということをちゃんと受け止めてもらっている感じ、これはカウンセリングでいう、反射というやつね。ちゃんと受け止めて、なおかつ、ちゃんと返ってくる。そのままリフレクトされる。「こういうことなんだね」って、そのまんま認められてる感じ。「それはこうじゃない、ああじゃない、こっちのがいいんじゃない」って解釈されたり、導かれる以上に、一回、ちゃんと受けとめてもらうということはすごく大事。

こういうことを意識しながら、こういう在り方を、とても大切にしていくことを、我々は【BE WITH】と称していて、それは、人との関わりの中で、もっとも重要なことの一つ。「すべては【BE WITH】に始まり、【BE WITH】に終わる」と言っているくらい、大事やと思うのよね。

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松木 正 プロフィール

先住民の知恵と生き方から学ぶ環境教育、自分と自分をとりまく様々な生命との関係教育を軸に「マザーアース・エデュケーション」を主宰。

京都府伏見生まれ。大学在学中、自身がうつ病を克服していく過程でカウンセラーと出会い、教育の現場にカウンセリングの手法を用いることの可能性を探り始める。

YMCA職員などを経て環境教育を学ぶために渡米。全米各地で環境教育のインストラクターをする中でアメリカ先住民の自然観・宇宙観・生き方、またそれらをささえる儀式や神話に強く引かれ、サウスダコタ州シャイアン居留区に移り住みスー・インディアン(ラコタ族)の子どもたちの教育とコミュニティ活動をしながら伝統を学ぶ。

現在、神戸を拠点に全国各地にて、キャンプの企画や指導、企業研修、学校での人間関係トレーニング、また保護者に向けてのワークショップ、子育て講座、アメリカ先住民の知恵を前面に打ち出したキャンプの企画と指導、神話の語り、教育的意図をもった企画講座、個人カウンセリングなど、幅広く活動している。

著書に、ロングセラーとなった『自分を信じて生きる』(小学館) 『あるがままの自分をいきていく インディアンの教え』(大和書房)がある。

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