
生命に「きく」
「生きる」とは何か。「わたしである」とはどういうことか。
目まぐるしく変化し続ける世界のなかで、わたしたちは今、自分の内と外との関係をもう一度問い直す必要に迫られているのかもしれません。
この連載は、「BE WITH=ともにいる」という在り方を軸に、人の育ち、自己肯定感、自然との関係、そして生き方そのものについて語る、松木正さんの言葉を辿るものです。
松木さんは、人の育ちの現場に長年立ち続け、また先住民の知恵やセレモニーの実践を通して、個人と共同体、そして大地との関係に深く向き合ってこられました。その語りは、どこまでもやさしく、しかし本質を突いてきます。
第1回 人生は「切れる」ことから始まる
第2回 あるがままを話すことは「主体性」の始まり
第3回 誰かとぶつかることで自分の存在を知る
第4回 壊れることを信頼する
第5回 寝袋をもって生きる ─ 地球とともに眠る
5回にわたって展開される松木さんの言葉に、じっと耳を澄ませながら、わたしたちもまた「生きるとは何か」を静かに、深く問いなおしてみたいと思います。
第4回 壊れることを信頼する
サバイバルとは、地球との対話
コミュニケーションできるということ、自然であったり、人間同士であったり、全てにおいて、コミュニケートできるということ、関わりあえるということ、そういうことが、全部サバイバル、この地球上で生きていくために、すごく大切なことと思うよね。
地球や自然からのメッセージは、いろんなサインやったり、一瞬現れるシグナルであったりして、非言語的なコミュニケーションやね。
サバイバルそのものは、挑んでいくものでもない。
トム・ブラウン(※)に出会う直前まで、それこそ「地球と対抗していく、というか、いろんな逆境に、負けないで超えていく」みたいな、その当時のアウトドアギアを最大に使ったアウトドアのプログラムの世界にいたけれども、ちっとも面白くなかった。何だか物が多すぎて不自由だった。
※トム・ブラウン
7歳の時にアパッチ族の古老ストーキング・ウルフと出会い、10年間サバイバルやトラッキングやアウェアネスの技術を学ぶ。さらに10年間アメリカ国内を放浪し、原野の中で生き延びる技術を磨く。27歳の時に、行方不明者のトラッキングを依頼され、見事に探し出したことから名前が知られるようになる。書籍に「グランドファーザーが教えてくれたこと」、「トラッカー」などがある。

「挑む」から「共にある」へ
トム・ブラウンと出会ったときに、一番感じたのは、そうではない、ということ。彼は、サバイバルというのは、地球とのノン・バーバル・コミュニケーションや、と教えてくれた。
彼にとっては、地球は、自然は、楽園であり、自分の帰る家でもあるし、って言ってたけれども、まさに、そういう、地球や自然とフィットする、いい関わり方ができる、いいコミュニケーションができる、力が絶対的に必要なんちゃうかなと思うね。
いつのときも、「大きな地球の心」みたいないものがあって、今いろいろ大変なことがおこっているかもしれへんけど、その大きな心の中でおこっているような気がするよね。そこへの絶大なる信頼というか、絶対的な信頼があると、そんなにいろんなことが、右往左往しなくても、いいような気がするよね。
壊れることを恐れない生き方
あらゆる変化は、自然の摂理のなかに織り込まれている。我々が言うところの、「壊れていく」とか、「変化していく」ということは、もともと自然の営みの中に抱合されている。だから、刹那的に言っているわけではなくて、すべては諸行無常やねん。「常に」はないしさ、どんどんどんどん変化するんやと思うね。だから、いまあるものが壊れたら困ると思ってるから困るんやと思うのよね。
自然の中で生きていると、いろんなものに、太刀打ちできへんような大きな力はあるし、雨は止められへんし、風も止められへん。だけど、ちょっとコミュニケーション能力があると、それと仲良くはできるんだよね。
すべてのものはやっぱり壊れるんやと思うね。壊れないように、壊れないようにという生き方をしているよりも、壊れるもんやという前提、今あるものはなくなるんや、いつか。その前提で生きているかで全然違うんやと思う。
いまあるものがそのままであってほしいということは、人間の心の中にはあると思うけれども、それにあまりにも執着しすぎると、結局それが壊れないようにするために、逆に問題が生まれてくる、みたいな。そんな感じがするよね。
それやったら、自分自身のアウトフィット力を高め、より自然の一部になることの方が大事なんちゃうかなと思うよね。

「通用しない」ことを肯定する
やっぱり、通用せーへんということが大事なん違うか。自分の考えてる通りにはならへん。コントロールできないもんがあるんやという、絶大な大きな力、圧倒的な力がある、ということに、やっぱり今こそ目覚めたほうがいいんちゃうかなと。傲慢やと思う、そもそも。
本来的には、想定外のことがおこる、ということは、健全やと思う。コントロールできないものと出会うことが、人を謙虚にする。逆にコントロールしすぎてきた。
それがいままでの全人類的なアイデンティティになってんやと思う。そのアイデンティティが壊れて、次のアイデンティティを持つための、移行期であるかもしれんな。大きな心で言うと。
「不安」ではなく「希望」から選ぶ
根底にある選択の動機が、人生の質を決める。「・・・しないような」っていう生き方は、「不安」からきてるよね、結局。「不安」からの選択はちがうような気がするよね。
やっぱり選択するのは「希望」からの選択でありたいし、やっぱり、自分はどうありたいのか、どう生きたいのかが大事。
「今」を生きるという問い
そして、「どう生きたいか」、と思うことも大事やけど、そのことを「今」どう生きているのかということがすごい大事かなと。そのものをちゃんと生きてる。
自分の生きたい生き方を、今、どれくらい生きているのか、ということが一番大切な問いやと思うねん。
今、どれくらいのボリュームで生きているのか。ちょっとだけ生きてるのか。すげー生きてるのか。まさに生きたい、そのものやという感じなのか。そこ。そこが大事。

地球のシグナルとともに暮らす
いままで頼りにしていたことを頼りにしようとしているから、いろいろ難しいんちゃうやろか。そうじゃない頼りになるもんやったり、「こんなんあったんや」「すぐそばにあったんや」、みたいなことが結構本当はある。足元にあるものへと感性をひらくと、生きることが変わっていく。
つくるキャンプやウルフキャンプとかって、いいきっかけや。つくるキャンプに参加すると、経験値としてさ、少なくとも、自分が自然のものだけでつくったのシェルターで寝ることになる。その経験があるだけでも、今ある生活環境が全部崩壊したとしても、ぜんぜん選択の仕方も変わるし、起こっている出来事に対して受け取り方もぜんぜん違うよね。そんな恐怖じゃないし、実はすげー快適、みたいな。こんなええもんが実はあったんや、みたいな。
もっと言うならば、地球で生きていくためのスキルというかな。サバイバル能力的なものやったりとか、先人たちがやってきたような知恵を、ちょっとでもちゃんと自分の中に身につけていると、それこそ、もっと快適になるに違いない・・・。
より地球に近いところで生きるような、地球と対話するような、地球や自然はいつもいろんなシグナルやいろんなメッセージを我々にくれるわけやから、そのことをちゃんとキャッチしながら、反応していくような、スキルやったり、あり方というものを身につけたら随分生きることが楽になると思うよね。それこそ、生きとったら大抵のことは何とかなるんちゃうかな。
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先住民の知恵と生き方から学ぶ環境教育、自分と自分をとりまく様々な生命との関係教育を軸に「マザーアース・エデュケーション」を主宰。
京都府伏見生まれ。大学在学中、自身がうつ病を克服していく過程でカウンセラーと出会い、教育の現場にカウンセリングの手法を用いることの可能性を探り始める。
YMCA職員などを経て環境教育を学ぶために渡米。全米各地で環境教育のインストラクターをする中でアメリカ先住民の自然観・宇宙観・生き方、またそれらをささえる儀式や神話に強く引かれ、サウスダコタ州シャイアン居留区に移り住みスー・インディアン(ラコタ族)の子どもたちの教育とコミュニティ活動をしながら伝統を学ぶ。
現在、神戸を拠点に全国各地にて、キャンプの企画や指導、企業研修、学校での人間関係トレーニング、また保護者に向けてのワークショップ、子育て講座、アメリカ先住民の知恵を前面に打ち出したキャンプの企画と指導、神話の語り、教育的意図をもった企画講座、個人カウンセリングなど、幅広く活動している。
著書に、ロングセラーとなった『自分を信じて生きる』(小学館)、 『あるがままの自分をいきていく インディアンの教え』(大和書房)がある。















