
『手しごと』ウエルビーイング 第13回 (最終回)~纏うもの、染めること~
こんにちは、『手しごと』ウエルビーイングのナビゲーター冨田貴史です。
昨年の5月から続けてきた連載「手しごと」ウエルビーイングも、今回が最終回になります。これまで読んでくださった皆さんに心から感謝申し上げます。
カムワッカの3人のメンバーと毎月ミーティングを重ねて、内容やコンセプトを練りながら進めてきた連載ですが、読んでくださっている皆さんの存在のおかげでここまで続けることが出来ました。
どうもありがとうございます。
今回のテーマは僕の生業の一つでもある染色です。もう少し広げて捉えると「纏うもの」についてのお話をさせていただけたらと思います。
以下は、僕が尊敬する染織家である故・吉岡幸雄さんの言葉です。
私は、人が色を服などにあらわそうと考えた最初の動機は、太陽、月、空、海、山河、樹、草花といった自然の美しい姿を眼のあたりにした感動だと思うのです。
その美麗な姿を身近に置きたい、そのためにどうしたらいいかを考えたことによって、染色がはじまったと想像するのです。ところで、日本人の色彩感覚は、世界のほかの国の人たちに比べて繊細なところがあります。それは、日本列島に四季があり、季節がゆるやかに移ろうといった世界のなかでも恵まれた自然環境のもとにあることが関係しているのです。
ゆるやかな季節の流れのなかにも、変化はあります。その繊細な自然の変化を敏感に感じとって、その色彩を衣や調度品にあらわそうと長い歳月努力を重ねてきたのです。-『よしおか工房に学ぶ はじめての植物染め』より
監修:吉岡幸雄 染司よしおか工房 発行:紫紅社
身に纏うもの
僕が身に纏うものを変えると心身の調子が変わるということに気づいたのは、2003年くらいのことだったと思います。その頃から地球環境に関心を持ち始め、食事を見直すことが健康と環境の改善になるだけでなく自分の気分も変えていくという発見から、衣服の素材も見直すようになったのでした。
そして、ヘンプやオーガニックコットンを纏う時に生まれる心地よさやリラックス感から、徐々に着る服の選択が変わっていきました。その後、草木染めやベンガラ染めを知ったのは、作り手に出会っていったことが大きく影響していると思います。実際に衣服を作る人と出会い、その世界観や考え方、作業の工程を想像できるようになり、どんどん共感を募らせていきました。
そして気づけば、自分でも染めを体験したり、身に付けるものを手縫いするようになっていました。その後、染色を生業にするようになったのは、人との出会いの積み重ねによるところが大きいのですが「これは生涯かけて探求するものだな」と思えた根拠としては「衣服は薬である」ということを認識したことが大きいと思います。

今から2000年以上前に纏められた「書経」という書物の中に、こんな言葉があります。
草根木皮 これ小薬
鍼灸 これ中薬
飲食衣服 これ大薬
身を修め心を治める これ薬源
草根木皮とは主に漢方薬のことで、植物の葉や根や茎や木の皮などを指します。
これらの小薬は「下痢の時にはいいけど、便秘の時は摂らないでね」とか「体を冷やしたい時はいいけど、体を温めたい時は摂らないでね」というように、その時々の状況でチョイスをするべきものを指しています。一方、大薬にあたる飲食衣服は、日常的に内服するものと外服するものです。日々の食事は内服薬で、肌に身につけるものは外服薬。
そして「小薬」と「大薬」の中間にあるのが、鍼灸です。その中でも、日常的に関わり続ける飲食衣服は、最も大切な薬。日々飲んだり、食べたり、身に纏ったりするものを、どう選んで、どのように養生しているかによって、対症療法のようなものが効くか効かないかが決まってくるということです。
そして、どのように薬と向き合っていくか、どのように体や心と向き合っていくかの姿勢が、健康法の源になります。こういった考え方が、2000年以上前にあったのですね。僕はこの文章に出会って、ハッとしました。
そして2012年冬、原発事故後の世界をどう生きていくかを問う中で大阪市内に冨貴工房という作業所を立ち上げました。今は愛知と大阪の二拠点で仕事をしていますが、味噌や胡麻塩、褌や地下足袋といった、毎日服用するものを中心にモノづくりをするスタンスは変わっていません。




今回の記事を書くにあたって、前述の「書経」の中の文章をカムワッカの3人に共有させていただきました。そこから話題は広がったり深まったりして、かなり話が盛り上がったのですが、3人ともこの文章に初めて出会ったとのことだったので、その第一印象的な感想を紹介してみます。

飲食が薬っていうのはわかるけど、衣服もそうなのか!ってはじめて思った。
食べ物に気をつけるのは健康のための一つの要素としてあるけど、衣服を薬として捉えるという感覚はなかったな。衣服は普段はファッションとしてとらえられていて、着心地はあるけれど、薬としてとらえている人はほとんどいないのではないかな。
住居の心地よさに通じるものはあるかもね。衣服と住居を外服薬としてとらえるのは結構ショックな認識の変化。

気持ちいい感覚ってあるじゃないですか。気持ちとか美味しいとかそういうのって元気につながってると思うんですよね。その生地感とか、着心地感っていうのは、身体の保護であると同時に、守ったり育てたり、という要素があるのでしょうね。
現代的な薬のイメージのままだと、衣服が薬なんだということに違和感を感じてしまうけど、衣服だけじゃなくて、その土地だったり建物だったり、空気だったり、そういったものが全部健康の源ですよね、多分。そのような意味での薬用、薬源っていう。
今回の「染め」を通じて、現代人が持っている薬のイメージを捉え直すということに繋がるといいなと感じています。

「気」とか目には見えづらい世界と、「物質」という目に見えやすい世界があるよね。 現代では、見えやすいところから手をつけがちだけど、古来では見えづらい領域からもアプローチしている気がする。どちらかだけというより、物質的・非物質的が互いに繋がり重なっている感じ。
私も身に纏うなら植物染めのものが大好き。色のもつ作用もあるし、植物たちの微細な周波数が布にのっているから、纏っていると共鳴していく感じがある。「ああ、植物たちの力を借りているなぁ」って。日常衣は基本そんな感覚で選んだり纏っているよ。
のどかさんの言葉を聞いて思い出したのは「身土不二」という言葉です。明治時代以降に食養生のスローガンのように使われ「しんどふじ」と読まれてきたこの言葉は、もともとは「しんどふに」と読む仏教用語です。その意味は「身と土は切り離せない」というもの。
仏教の世界では「身」は「よりどころにしている環境」のことで、「土」は「今までの行為の結果」であると捉えます。今の自分がよりどころにしている身は、今までの行為の結果としての土と切り離すことは出来ないということです。
僕はこの言葉に似た発言を環境国際会議で、ある先住民族の代表の方から聞いたことがあります。それは「私たちの心身の健康と地球環境は切り離す事はできない。地球環境の改善をせずに、自分たちの心身だけを健康にすることはできない」というような発言でした。
のどかさんの言葉から、そんなことを連想しました。
先ほど紹介した吉岡幸雄さんは、彼の暮らしを追いかけたドキュメンタリー映画『紫』の中で「古い時代の書物に書かれている分量で紅花を採って染めても、同じ色が出ない。それは土が弱くなって、色が出にくくなっているからだと思う」と言っています。
吉岡さん自身、故郷である京都の川が汚染されていることに心を痛めて、環境に負荷をかけない染めのあり方を探求していました。
ドキュメンタリー映画「紫」
色の持つ働き

藍染めは気が静まるという、そういう薬効って言えばいいのかな、いろいろな効果効能があるじゃないですか。藍染めにしろ、茜染めにしろ、草木染めなどいろんな。
実はそういう働きのある衣服をまとってるんだよということを伝えていくことは大事なことですね。

男の子は基本陽性が強いから藍で鎮めるとか、女の子には紅とか茜とかの色で逆に陽気を補うとか。食もそうだし、衣も、中庸に持っていく。そのために色を活用しているのかなって思った。
生命の働き・知恵を生かしながら中庸に持っていく。誰かに任せるのではなく、自分で身体を感じとりながら主体的にやっていく。
そのための補助として色だったり素材だったりを活用する。
経皮毒っていう言葉が言われわれてるけど、毒素が肌から吸収されるとしたら、薬も肌から入ってくる。使われている成分だけじゃなくて、肌から入ってくる情報というか見えない部分にも意識的でありたいなって思う。
日本には五行という考え方がありますね。
「木・火・土・金・水」という五つのエレメントにそれぞれ働きがあると考えられてきたのですね。五行の中央にあるのは土で、土に対応する内臓の働きは、食べたものを栄養に変えて、全身に配ること。
その働きを助ける色は、黄色。ということで、黄色いカボチャやみそ、玄米、たくあんなどは胃の薬とされています。
木のエネルギーは、内臓でいうと肝臓や胆嚢がしている解毒や分解の働き。身体中を巡っていく血液のクオリティーを維持して、全身に配るのが、木の働きです。この木が働きすぎて、肝臓や胆嚢に負担がかかると、怒りっぽくなったり、癇癪が起こったりします。
そして木に当たる色は青や緑。なので、藍染めの服を着せると「疳の虫が下がる(癇癪が起こりにくくなる)」と言って、昔は男の子が生まれると藍染めの肌着を贈る風習があったといいます。
また、赤は火に当たる色です。この色は、造血や血液循環を司る心臓や小腸と関連する色。なので、女性は男性を引き寄せて「血流がよい=陽気がある」と思わせるために、頬や唇に紅を塗ってきました。
赤い色は、世界中で生命力の象徴として捉えられ、色々な方法で染めに利用されています。紅花を使ったり、胆砂やベンガラといった鉱物を使ったり、コチニールや臙脂虫という昆虫を使ったり。

赤に魅せられる
以下、引用です。
世界の始まりを語る神話では、多くの場合、大地は「赤」で表されます。科学的にも、地球上に最も広く存在する顔料は酸化鉄であると証明されています。酸化鉄は変質するとたちまち赤くなるのです。
歴史のはじまりで最初の大陸が赤かったというのは、おそらく間違いないでしょう。赤土は人類が利用した最初の顔料で、葬送儀礼に使われていました。イスラエルのナザレの近くにあるきわめて古い墓(紀元前9万年頃)から、赤土のかけらと玄武岩製の粉砕器が発見されています。
新石器時代になると墓室内にしばしば赤土が見られるようになり、人骨の下に何層も広がっていたり、骨を覆っていたりします。赤土はすべての顔料の中で最も不透明な特性を持ちます。どんな陶器にも含まれており、繊維の分野でもあらゆる時代に使われてきました。
初めて洞窟壁画に使われて以来、画家たちに特に好まれた顔料で、その使用は中世ヨーロッパの修道院の写本工房からペルシアの細密画家、マヤ人からルネサンス前派の画家にまでおよびました。
展色剤(顔料を均一に伸ばして、物体の表面につきやすくするための媒体)として赤土に混ぜられたのは亜麻油の場合もあれば、塩水、尿、煤、タール、バター、牛の血、トカゲや蛇の脂のこともありました。
ー『色 : 世界の染料・顔料・画材 : 民族と色の文化史』より
アンヌ・ヴァリション著 マール社

赤という色については、吉岡幸雄さんもご自身が編集した本の中でこのように書かれています。(※「手しごと」ウエルビーイング第3回で紹介しましたが、再掲します)
太陽によって一日がアケル。そのアケルという言葉が「アカ」になった。アカはまさに神の色といえるのである。
日本でいえば、古代神話のなかで、天照大神は文字どおり天を照らす太陽神をあらわしているのもその一つの例といえる。太陽は高く昇り、人に光を与え、植物を育む。そして西の空に傾くときには、その光に感謝して、それから暗闇の世界に入ることへの一抹の淋しさをこめて、地平線に沈みゆく太陽を見送りながら祈った。
人間が太陽の光の恵みを受けて、まず「アカ」の色に関心を示したのは自然なことである。
-『日本の色辞典』より
著:吉岡幸雄 発行:紫紅社
この本の中で紹介されている赤系の色の種類の多さも、すごいです。
先人たちはどれだけの解像度で色というものを見てきたのだろう、と思います。
赤系を表す日本の色の言葉
朱色、真朱(まそほ、しんしゅ)、洗朱(あらいしゅ)、弁柄色、代赭色(たいしゃいろ)、赤銅色(しゃくどういろ)、珊瑚色、煉瓦色、樺色(かばいろ)、茜色、深緋(こきあけ)、紅葉色、朱紱(しゅふつ)、纁(そひ)、曙色、紅、掻練(かいねり)、紅絹色(もみいろ)、艶紅(つやべに)、深紅(ふかきくれない)、唐紅(からくれない)、今様色(いまよういろ)、桃染(ももぞめ)、撫子色、石竹色(石竹色)、桜色、桜鼠(さくらねずみ)、一斤染(いっこんぞめ)、退紅(たいこう)、朱華(はねず)、紅鬱金(べにうこん)、橙色、赤香色(あかこういろ)、梔子色(くちなしいろ)、牡丹色、躑躅色(つつじいろ)、朱鷺色(ときいろ)、蘇芳色(すおういろ)、臙脂色(えんじいろ)、猩々緋(しょうじょうひ)、他。
ー『日本の色辞典』より
かくいう僕自身、特に茜という植物の生み出す赤色に魅せられてきた一人です。
僕が茜という植物を初めてはっきり認識したのは2008年ごろだったと思います。当時、日本の原子力発電政策の見直しを求めるための働きかけを全国の仲間達と行っていた僕は、仙台で出会った4人のメンバーと「あんしんエネルギー未来プロジェクト」という市民グループを立ち上げて活動をしていました。
このグループのメンバーの一人が運営する「東仙台シュタイナー 虹のこども園」を訪ねた際に、茜を使った染めものをする場面に立ち会いました。
東仙台シュタイナー 虹のこども園
そこで聞いた話は以下のようなものでした。
茜は赤い色をした根。
赤い根だからあかね。
その色は、茜の根が地球の中から引き出してきたもの。
そして子宮の中にいる胎児が見ている色も赤。
それは私たちが地球にやってきて、最初に見る色。
胎児は、お母さんの子宮の中で、おなかの肉の向こうから照らされる太陽の光を見ている。
地球と子宮は、つながっている。
乳幼児は、母の胎内に居た記憶を持ち、母とのつながりを強く感じているので、この色に包まれていると安心する。
私たちは地球に包まれ、子宮に包まれて生まれる。
だから、子どもたちのいる空間を包み込むシーツやカーテン、枕カバーなどを茜で染めると子どもたちは深い安心感に包まれる。
その時に聞いた話はそのような内容だったと思います。
僕は、自分も子どもなんだよな、と思いました。原発や放射能に不安を抱える僕も、いえば安心を求める子どものようなもの。自分自身のインナーチャイルドを癒す意味でも、茜は大切なメディスン。そう深く実感したことを覚えています。
その後、『本草綱目』や『神農本草経』といった古い時代の薬草辞典を調べてみると、茜の根は下血や吐血、喀血、生理不順といった血液に関する疾患を改善する薬とされ、平安時代には十二単の一番内側に纏う襦袢(じゅばん)の染めに使われていた、と書かれていました。
しかも、その効能の一つに「魔除けになる」とはっきり書かれていました。血の滞り、酸化、電位の異常は、氣の通りを悪くし、邪気を引き寄せると言われています。そういう状態であると、憑き物に憑かれやすくなります。「疲れる」と「憑かれ」やすくなるということです。

その頃の僕は原発や放射能などに向き合って活動をする中で、きつい言葉を浴びたり誹謗中傷を受けたりもしていて、心身の疲れを実感していました。そのような日々の中で、茜染めをしている時間そのものが自分の心身を癒やし、自分の中に宿る「魔」のようなものを落としていく時間になっているという自覚がありました。
気づけば茜染めは自分にとって「心身を癒やす手しごと」という位置づけになっていました。そんなこんなで、僕が茜に出会ってから二十年近く経ちますが、未だに探求は続いています。
人生のどこかの時点から、茜草の栽培も始まるかもしれません。付き合い方も向き合い方もどんどん変わっていくでしょう。
「なんであなたは茜で染めているの?」と問われることがありますが、ぶっちゃけの本音を言えば自分でもよくわかりません。
「もっと身近にある植物で染めるべきでは?」という指摘を受けたこともあります。そういう時は「そうですね。おっしゃるとおりです」と答えたりもします。実際、家の庭や近所で採取した蓬などの野草を使った染めも探求していますし、土や炭などを使った染めもしています。(先日は、地元の漁師さんが釣ったコウイカのイカスミで染めました)
それと同時に、日本列島には元々、海の海流に乗って色々な場所から流れ着いたメディスンを受け入れて取り扱ってきた歴史があることも感じています。シルクロードを辿ってきたメディスンもあるでしょうし、黒潮に乗ってやってきたものもあるでしょう。
ローカリズムとグローバリズムは二項対立するものではなく、理屈を越えた運命を引き受けて仕事をしていくことも大事なのではないかなと思っています。
何はともあれ「なぜ茜なのか?」と問われたら、前述のような効能を並べてもっともらしいことを言うこともできますが、自分のハートに聞いて出てくる答えは「お導きとしか言えません。いつかわかるかもしれないし、わからないままかもしれません」というものになります。
もちろんそこに「理屈抜きに大好きなのです」という言葉が付け加えられますが。

吉岡さんとの出会い
そんな僕が、本格的に染めを生業にし始めて2〜3年ほど経った頃、東京の荻窪で行われた映画『紫』の上映会にゲストスピーカーとして呼んでいただいたことがあります。
主催は、和暦ダイアリー『和暦日々是好日』の制作者であるLUNAWORKSの高月美樹さんでした。僕はご依頼をいただいて自分の染めたヘンプコットンの手ぬぐいと褌を展示販売させていただきつつ、映画の上映後に高月さんとトークセッションをさせていただきました。
この時、なんと、京都から吉岡さんご本人が来場されて、僕の眼の前に座られていました。もう、心臓が飛び出るような気分でした。
さらに高月さんはトークセッションの中で、僕の染め物についての感想を吉岡さんに尋ねたのでした。僕は冷や汗をかきながらその言葉を聴きました。吉岡さんは、とても気を遣って、僕にだけわかるような言葉で、僕の染めものの至らない部分について指摘をしてくださいました。
具体的には、色を濃く入れようとしすぎて、水にさらす度合いが足りないというようなことを伝えてくれました。僕はその瞬間に「自分の染め物をよく見せようとする」イコール「自分をよく見せようとする」といった虚栄心のようなものが崩れ落ちていく気がして、そのおかげでとても無防備に、飾らずに正直な話が出来た気がします。
そして上映会の後に関係者による会食の席を設けていただき、吉岡さんとじっくり話すことが出来ました。僕が当時心を砕いていた原発事故や放射能汚染と向き合う活動についても、深く共感してくださいました。吉岡さんがその時に「自分が暮らす京都伏見の地下水を改善したい」とおっしゃっていたことをよく覚えています。
「私の暮らす土地は、今は”伏見”と呼ばれているが、元々は”伏水”だった。地の下を伏して流れる水の質がよかったので、酒や味噌や染め物が盛んだったんだ。私はこの水の質を復活させて、伏水という名前を取り戻したいと思っている」とおっしゃっていました。
まさに「身土不二」という言葉をそのまま引き受けて、ご自身の中にある理想に挑み続けているのだと思って、胸を打たれたことをよく覚えています。

従順さから降りて、再生の道へ
「インドのイギリス化(近代化·機械化)はイギリスの侵略によるものではなく、インドがイギリス化していく事を従順に受け入れたことによるものであり、インド人自身が引き起こした結果である。」
ーマハトマ・ガンジー
この言葉は、片山佳代子さんが翻訳された『自立の思想』という本の中にあるものです。
『ガンジー・自立の思想 ー自分の手で紡ぐ未来』
著者:M.K.ガンジー 編集:田畑健 翻訳:片山佳代子 出版:地湧社
ちなみに僕は佳代子さんと新潟市内の神社で「手しごと」をテーマにした対談をさせていただいたことがあります。その時に佳代子さんが着ていた衣服はすべて、種から育てた綿を自分で紡いで、織って、仕立てたものでした。
ガンジーは、自ら綿花を育て、糸を紡ぎながら、生活必需品の自給、国産品の利用を推奨し続けたと言います。当時のインドには、農家が格安な金額で綿を売り、その綿を使って工場で大量生産された衣服を都会の人たちが買うという構造が出来上がっていました。
これは、17世紀頃から盛んにおこなわれていた「三角貿易」の一環でもあります。アフリカで奴隷を買い、中南米に運び、そこで綿花を栽培させ、その綿を安価で買い取ってヨーロッパに運び、そこで高く販売するというビジネスが産業革命の発展を支えていました。
ガンジーは、私たちが何も考えずに従順であることによって、このような産業構造を支えているのだ、と指摘します。19世紀になると、石油による合成染料の発明によって、大量の軍服が素早く、均一に生産できるようになりました。
※ガンジーの言葉は『手しごと』ウエルビーイング第2回でも詳しく紹介しています。
戦争の規模が大きくなるにつれて、戦地に送られる飲食物や衣服といった生活物資の生産量も増えていきます。たび重なる世界大戦と軍備増強の中で、合成染料の生産量も急増し、それまで世界各地でおこなわれていた自然染め、草木染めの文化は、廃れていくこととなりました。
そしてさらに巨大化するグローバル企業が大量に作る化学繊維と合成染料は、地球環境を汚染しながら大量に生産され、大量に廃棄されています。
※合成染料の話は『手しごと』ウエルビーイング第3回でも詳しく紹介しています。
衣服の速度が上がりすぎている。
大量に、なるべく早く、作って、売って、残ったら捨てている。絹を育てるカイコが桑をはむ音も、桑畑に流れ込む沢の水の音も、布を織る機織りの音も、掻き消えるような速さ。そのような現実を直視しながら手しごとをしていると、途方もない気持ちになることもあります。
心の中に問いが響きます。
私たちは立ち戻れるのだろうか。
自然の色を見ることで、身体や精神が癒やされるような世界に。
麻を栽培することで土壌は改良され、絹を栽培することで桑畑やその周辺の清流を育んでいくような世界に。
桑をはむ蚕の姿に再び出会っていけるのだろうか。
機織りの音に安らぐ子どもたちの寝息。
糸を紡ぐ手を温める七輪の中で炭がはぜる音。
それらを含めた衣服の文化が再生されていく未来を夢見ています。

今日たまたま調べていたのだけど、リサイクルとかいう言葉が使われだしたのは1980年ぐらいから。ゴミの大量廃棄問題などから急にリサイクルという言葉が使われだしたのだけど、それまではそういう概念すらなかったような気がする。
江戸時代はリサイクルの時代だって言われてるけど、当時の人は別に環境のためにリサイクルするつもりじゃなくて、使えるから単に鉄くずを集めたりしてたんだと思うんだよね。
そういう意味では歴史を振り返って、概念が生まれた時に遡行してたどっていくとと、今当たり前になっていることが当たり前じゃなかった時代を想像することができる。さっきのガンジーの話も、気づけば三角貿易の中の中に入り込んでいたというインド人に対して、そこへ一回足止めようよっていうメッセージなんだと思うけど、そういうことと同じことが今までの「手しごとウエルビーイング」の連載の中でも言われている感じがする。
畏怖と畏敬を纏って染める

過去にあったものが、当たり前になってしまって、いつの間にか失われてしまって、その後、取り戻していく再生が始まって、その有り難さに気づいていく。そういう道が、手しごと全般に横たわっている気がします。
味噌を作ることの意義、塩の道の貴重さ、庭の存在価値。
吉岡さんは、正倉院に残されている書物などを紐解きながら、伝統的な染色の技術を復活させようと心を砕かれていました。そして、先人たちへの思いを語る時に、畏怖と畏敬という言葉を使われていました。
道具や機械が進化したといわれる現代なんだから、奈良時代の書物に書かれているような染めを簡単に再現できるだろうと思うけど、出来ない。むしろ自分たちの中で何かが退化していることを感じる。それを取り戻していくことは容易なことじゃない。そうおっしゃっていました。
吉岡さんは、それでもなお奈良時代の染めに挑み続けているんだと言っていました。先人たちの偉大さを感じて、おそれおののいて、大きく後ずさりして、そこから一歩一歩、少しずつ歩み寄っているんだ、と。
吉岡さんは、荻窪での上映会の後に、僕が東京駒沢のシェアハウスの一角にある「チャランケ」という沖縄料理屋で小さな上映会を行った際にも、わざわざ京都から足を運んでくださいました。そして、夜が更けるまでゆっくりお話をすることが出来ました。
その時に「ぜひ工房に遊びに来なさい」とか「茜の栽培をしている場所を案内してあげるよ」と言ってもらっていましたが、再会を果たすことが出来ぬまま、吉岡さんは亡くなってしまいました。今思うと、僕は吉岡さんに対して「畏怖」と「畏敬」の念を抱いていたんだな、ということがよくわかります。

吉岡さんに出会って交流をさせていただいてから、僕は染めの仕事が出来なくなりました。
それは、それまで自分がしていた染めのすべてを見直す必要性を感じたからです。手を止めているその時間は、大薬としての衣服に関わる自分の根本、つまり「薬源」としての、自分の生き方を問い直す時間でもありました。
自分の心身、繊維や染料との向き合い方、水や空気や環境との向き合い方。それら一つ一つを点検する中で、それまでの自分が無意識のうちに「なるべくたくさんの布を、なるべく短い時間で、なるべく濃く染めたい」と思っていたことにも気づきました。そんな自分を受け入れて許すのに、長い時間がかかりました。
そして気づけば「果たして自分は染めを生業として続けるべきか」というところに立っていました。その時僕は、染めに対しても、染めに向き合う吉岡さんに対しても、大きく後ずさりしたのだと思います。
効率を追求するのではなく、布や染料植物と真摯に向き合っていくことを自分が本当に望んでいるということが腑に落ちて、再び手を動かしたくなるまでに、およそ三ヶ月ほどの時間がかかりました。
そしてさらに、自分がそれまで行っていた染め方を忘れるくらいの時間をとってから、改めて吉岡さんの工房の染め方を一から学ぶ気持ちで、染めを再開しました。
吉岡さんに出会って、すぐに親しく話をさせていただいて、そこから大きく後ずさりして、改めてそこから少しずつ歩み寄っていく。その道のりのどこかで再会したいと思いながら、今に至っています。もちろん、もう会えないのだ、という寂しい気持ちはあります。
その一方で、自分が先人たちの染めに学び、挑んでいく道のりを歩んでいるかぎり、そこに吉岡さんも寄り添ってくれている、という思いがあるのも事実です。
はたらくことは、隣人(はた)を楽にすること

僕が染めを仕事として続けようと思えているのは、ご近所さんとのつながりが大きい気がします。それは、冨貴工房のそばに住んでいるご近所さんと、距離は離れているけれど意識でつながっている「心のご近所さん」に求められる仕事をしている、という感覚です。
僕が染めを再開して少し経った頃、商店街の一角で染めものをしていたら、斜め向かいの駄菓子屋のおばあさんが話しかけてきました。
「今度の花見に間に合うなら、これを染めてもらいたい」と言って、三十年前に着たままになっていた白いシャツを出してきました。よく見れば、たしかにすこし、肩のあたりが日焼けしています。
僕は、服を三十年間ずっと大事にとっておいたということと、その服を出してきてくれたことの両方に胸を打たれました。その後、何度か茜を使って重ね染めして、実際に見てもらって、また染め、見てもらって、を繰り返しました。そして、なんとか花見に間に合うように染めることができました。
この事は僕に「何はともあれ染めは続けよう」と思わせてもらった出来事でした。
「はたらく」の語源は「はたをらくにする」ことだと聞いたことがあります。
隣人に楽を。
楽しさや気楽さを。
衣服は本来、僕たちに最も近い隣人である乳酸菌などの表皮常在菌や、家族やご近所さんの心身を楽にしてくれる薬。じっくりゆったり時間をかける染めの作業や、機織りの落ち着いた音は隣人の誰かをくつろがせているのかもしれません。
耕作放棄地の中で、藍や茜や桑や紅花を栽培するような取り組みは、人間だけではない生き物たちとの共生のあり方に、どんな影響を及ぼしていくでしょう。
衣服の手しごと文化を再生していくことは、環境の再生とどのようにつながっていくでしょう。
商店街の一角で染めたものを、軒先に干していると、近所のおばあさんたちの「きれいだね」とか「美しいね」という言葉が聞こえてきます。
その言霊は、口にした本人や隣人の心身にどのような影響を及ぼしていくでしょう。創造の喜びを祝いあう機会が増えていくことが、私たちの身や土にどのような変化を生み出していくでしょう。
染めの仕事を続けながら思うのは、それがどんな素材のものであれ、すべての衣服は私たちを包み込んでくれているありがたいメディスンであるということです。
その有り難さを思います。そして、私たちは常に宇宙の惜しみない愛を纏って生かされているという奇跡を思います。その奇跡の世界の中で、こうやって貴方とお会いできたことに心から感謝しています。
この記事にお立ち寄りいただき、私たちに出会ってくださり、どうもありがとうございます。
おすすめの映画

映画『紫』
出演:吉岡幸雄、福田伝士、染司よしおか
(2011年) 日本映画 77分
川瀬美香監督 製作:ART TRUE FILM
植物だけの色。途絶えかけた日本の心。日本古来の植物染料にこだわり、育て、染める。この映画は、美しさにとり憑かれた男の記録である。
※自主上映会も開催できます。
冨田貴史(とみたたかふみ) プロフィール
1976年千葉生まれ。愛知在住。大阪中津にて味噌作りや草木染めを中心とした手仕事の作業所(冨貴工房)を営む。
ソニーミュージック~専門学校講師を経て、全国各地で和暦、食養生、手仕事などをテーマにしたワークショップを開催。著書『春夏秋冬 土用で暮らす』(主婦と生活社・共著)『暦のススメ』『いのちとみそ』『ウランとみそ汁』『わたしにつながるいのちのために』(冨貴書房)など。




























